国を担うリーダーの輩出を願う

 本会では、カンボジアの農村に住むこども達が学校へ行けるようにと、2003年に「クメール教育里親基金」を創設して、早や6年が経過した。現在約500人の貧しい家庭に住む子ども達を教育支援しており、家庭での生活が困難なこども達の受け皿として、児童養護施設「夢ホーム」も完成した。

 農村に住むこども達の生活ぶりは、本会の現地スタッフが時折り子ども達の家庭を訪ね、日本の里親さんへ訪問記録を郵送しているが、そのレポートからこども達の様子をうかがい知ることができる。

 こども達は朝5~6時には起き、掃除をしたり牛の世話をした後朝食を食べて学校へ行く。(学校の多くは午前・午後の2部制なので、午後から通学する子もいる)午前中の授業は11時頃終了、帰宅して昼食を食べた後は兄弟や近所の子らと遊んだり家のお手伝いをして、早めの夕食を食べた後は勉強をしたり読書して、午後8時頃には床につく。ほとんど電気のない家庭ではすることがないので、日が暮れると家族全員が早めに寝てしまう。24時間灯りがついている日本では到底考えられない健康的な生活だ。

 複雑な家庭環境にあるこども達も多い。両親が亡くなったり離婚したりして親と一緒に暮らせないこども達は、たいがい親戚の叔父さんや叔母さんが面倒を見ている。おじいさんやおばあさんと暮らす子もいる。

 子ども達の遊びといえば、男の子はサッカー、女の子は縄跳びだ。サッカーはボールさえあればみんなで楽しめるし、縄跳びも縄1本あればできる。日本のようにゲーム機もなければパソコン、携帯もないので、大地でのびのびと遊ぶのが普通だ。

 こども達に将来の夢を聞くと、学校の先生と医者になりたい子が圧倒的だ。稼業(農業)を継ぎたい子が少ないのが気掛かりだが、夢は大きい方がいい。もう一つ残念なことは政治家になりたい子が少ないこと。カンボジアの未来は政治家の資質にかかっていると言っても過言ではない。東南アジアは世界に名だたる政治家を多く排出している。シンガポールのリー元首相、マレーシアのマハティール元首相、ノーベル平和賞を受賞したミャンマーのスーチー女史、お隣のベトナムには建国の父、ホー・チミン元大統領がいる。お次はカンボジアから?・・・。教育支援している里子の中からそんな逸材が出ないだろうかと淡い期待を抱いている昨今である。

   2009年6月3日      理事長  根岸恒次

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カンボジア国王よりメダルを授与

 3月3日~10日、「第13回カンボジアふれあいの旅」に参加した。「カンボジア愛と感動の旅」として2001年に始まったこのツアーは今回が通算22回目、この間延べ500人以上が足を運んでくれた。決して安くない海外旅行だが、こんなに多くの方が行ってくれたのは、単なる観光旅行では味わうことの出来ない何かがあるのだろう。とりわけ、子ども達とふれあうことができるのは大きな魅力の一つだ。

 児童養護施設「夢ホーム」が完成した。子ども達には貧しくてもできるだけ地域社会の中で暮らしてもらいたいが、諸事情で家庭では暮らしにくい子ども達に限定して、「夢ホーム」でお世話することにした。家庭のぬくもりを大事にしたいので、入居定員も16人と少ない。

 今回のふれあいの旅に「夢ホーム」の開園式に加え子ども達との交流タイムをメニューに加えたところ、とても好評だった。3月のカンボジアはとても暑く、日中は35度にもなるので、多くのツアー参加者は途中でホテルに戻ったが、熱心な人は夕刻まで子ども達と交流していた。

 「夢ホーム」の敷地は広い。池には魚が泳ぎ、ミニサッカーやバレーボールコートもある。南国らしく果物の木は鈴なりだ。多少暑いのが玉にキズだが、夕方は結構涼しい風が吹いて心地よい。年3回実施の「カンボジアふれあいの旅」で「夢ホーム」を必ず訪問することにしているので、折あれば参加してほしい。

 このほどのふれあいの旅は、セレモニーのオンパレードだった。「夢ホーム」の開園式を筆頭に、小学校の開校式(3校)、井戸の贈呈式(8校)、遊具の贈呈式(1校)とあった。

 「夢ホーム」開園式の中で、カンボジアの国王からメダルを頂戴した。数百といわれるカンボジア支援のNGO団体だが、ほとんどがもらうことの出来ない貴重なメダルだ。足掛け10年、カンボジアの復興支援、教育支援に心血を注いでくれた本会会員の皆様へ、カンボジア国王からの名誉あるプレゼントだ。私は橋をかけただけだ。

            3月27日     理事長  根岸恒次

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フランス植民地時代~ポルポト政権までのカンボジア

 19世紀後半、ヨーロッパ列強によるアジアの植民地化が進む中、フランスは1858年、ベトナムに侵略を開始、83年にベトナム全土を支配すると87年にカンボジア、99年にラオスを併合、「仏領インドシナ」として支配した。

 フランスの支配下、カンボジアではプノンペンの街が整備され、道路や学校なども建てられてそれなりに恩恵を受けたが、所詮植民地経営のためのものであり、特に農村では貧しい生活を余儀なくされていた。

 歴史が動いたのは1940年のこと。第2次世界大戦のヨーロッパ戦線でフランス本国がドイツに占領された弱みに付け込み、日本軍は仏領インドシナ全域を平和裏に占領した。しかしその日本も45年に降伏し、終戦を迎えた。

 日本の敗戦でベトナム・カンボジア・ラオスの3国は再びフランスの支配下に戻ったが、独立を求める第1次インドシナ戦争が始まった。その後カンボジアはシハヌーク元国王の外交努力により53年、カンボジア王国として独立を果たした。(写真は、53年、プノンペン市内に建てられた独立記念塔)

 だが、平和は長く続かなかった。冷戦の始まりである。隣国ベトナムでは、ソ連・中国の援助を受けた共産主義政権の北ベトナムとアメリカ・フランスの援助を受けた南ベトナムに分断された。南ベトナムで民族解放戦線(ベトコン)が蜂起すると、アメリカはアジアの共産主義化を恐れて軍事介入した。ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)だ。65年には北爆も始まり、戦争は泥沼化していった。

 アメリカは、北ベトナムとベトコンゲリラによる執拗な抵抗を受けて敗北濃厚となり、70年頃には南ベトナムから軍隊を引き揚げ始めたが、南ベトナムの孤立化を恐れたアメリカはカンボジアでロン・ノル将軍による軍事クーデターを起こさせ、中国と親しかったシハヌーク国王を追放した。同時にベトコンゲリラを掃討するという名目でカンボジアに侵攻、さらにラオスにも侵攻してインドシナ半島は再び戦乱の時代に逆戻りした。

 カンボジアでは、ロン・ノル政権に対抗してシハヌーク国王派が、急進的な共産主義思想を唱えるポルポト派(クメールルージュ)と手を組んでカンボジア民族統一戦線を結成、カンボジアは内戦状態に突入した。

73年、アメリカがインドシナ半島から全面撤退すると事態が急変、ベトナムでは75年に南北統一が実現、カンボジアでもロン・ノル将軍が亡命してポル・ポト率いるクメールルージュがプノンペンを制圧、3年8ヶ月に及ぶ独裁政権による民族大虐殺が始まることになった。

                 2009年1月30日   根岸恒次

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ポルポト政権悪夢の3年8ヶ月

 1975年4月17日朝、正月明けのプノンペンに兵士を乗せた装甲車やトラックが続々入ってきた。ポルポト率いるクメール・ルージュは農村主体の徹底した共産主義思想のもと、すでに73年頃までに農村部の大半を掌握したが、ロン・ノル将軍を亡命させついにプノンペン入城を果たした。当時プノンペンに住んでいた約200万人の市民はその後1週間で強制退去させられ、プノンペンはゴーストタウンになった。

 地方に強制移住させられたプノンペン市民は「新人民」と呼ばれ、農村にいた「旧人民」と区別されて過酷な強制労働に従事させられた。食べるものがなくて餓死したり、栄養失調で死んだり拷問や処刑で殺された人々は200万人以上と言われている。

 ポルポト政権で唯一、今もカンボジアの財産になっているのが灌漑用水だ(写真)。カンボジアの最盛期であるクメール王朝の時代、王は一辺数キロメートルもある大きなため池を作り、田んぼに水が行き渡るように工夫した。(東バライ・西バライ)ポルポトもこれを見習い、全土にダムや用水を作ったといわれている。これらは現在も使われている。しかし、そのために国民を使役し、沢山の犠牲者を出してしまったことは、この政策が真に国民を幸せにできたかどうか、疑問が残る。

 こうした破天荒な政権が長く続くはずがない。フン・セン現首相やヘン・サムリン元首相が反旗を翻してベトナムに応援を求めたため、1979年1月7日、ベトナム戦車部隊がプノンペンを制圧し3年8ヶ月に及ぶ恐怖政治が終わった。

 プノンペン市内にある「トゥールスレン博物館」。ポルポト政権前は高校だったが、この時代は市民を拷問するために使われた刑務所だ。この場所で拷問し、自白した市民を処刑した場所が、ここから20キロメートル離れた場所にある「キリングフィールド」。2万人以上が処刑されたといい、今も殺された人々の遺骨が残されている。

 ポルポト時代に13歳だった私の友人はプノンペンからカンボジア北部のバンテイミンチェイ県に強制移住させられ、来る日も来る日も灌漑用水の工事に駆り出された。父や兄は餓死し、本人も空腹に耐えかね、野ねずみを取って食べようとしたところをポルポトの兵士に捕まり、3日3晩、ねずみを前に働かされた思い出が今になっては懐かしいと言っていた。

 ポルポト政権が崩壊して30年、カンボジアの若い世代は大半がポルポト時代のことを知らない。日本も同じだが、戦争の語り部は惨状を後世に語り継いでほしい。

                 Mekon1226 12月26日  理事長  根岸恒次

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子どもたちの権利が阻害されている

  カンボジアの首都プノンペン市内にある福祉省を訪問した。正確には福祉のほかに退役軍人のケアや青年のリハビリテーションを担当する省庁で、日本の「厚生労働省」の「厚生」の部分を担当する部署のようだ。カンボジア政府には二十余りの省庁があるが、福祉や教育を担当する省庁の規模は小さく、建物もオンボロで職員も少ない。この建物を見ただけで、カンボジアの子ども達の実情を察知することができた。 

 子どもの福祉を担当する部署の責任者であるマウ・ソバッティさんに会い、カンボジアにおける孤児たちの現状を聞いた。

 マウさんの話では、現在カンボジア全土に約2万人の孤児がいるというが、その半数の約1万人が全国にある185箇所の孤児院で暮らしているそうだ。185箇所の内訳は、国立が20箇所、国内外のNGOが運営する所が165箇所と、大半が外国のNGOに頼っているのが現状だ。また、国立といっても名ばかりで、運営費の多くが外国から支援を受けている。

 165箇所の孤児院を運営するNGOを国別に分けると欧米が圧倒的に多く、その多くがキリスト教団体だ。最近は韓国などのキリスト教団体が増えているが、日本のNGOが運営する孤児院は少ないという。

 アンコールワットで子守をしている少年がいた。(写真)近所に住む子のようだが、多分親から命ぜられ、写真を撮らせてお金をもらうように言われたのだろう。聞くと5人兄弟の長男で、通学していないという。貧しくて学校へ行かせてもらえないそうだ。孤児ではないが、ある意味孤児院で暮らしている子ども達より悲惨といえる。繁華街でよく見かける、乳幼児を抱えてお金をねだるこども達の背後に親の姿が見え隠れしているのも同じだ。

 子どもは健全な環境の中で健やかに育つ権利を有している。しかし残念なことに、カンボジアなど途上国の子ども達の多くはその権利が阻害されている。命さえ危うい子ども達もいるのが世界の実情で、日本でも時々犯罪に巻き込まれるものの、概してその多くは安全かつ良好な環境の中で暮らしている。そのことが当たり前になってしまい、世界の現状を理解できない親子の何と多いことか。

 本会が主催するカンボジアへの旅に小学4年生が参加した。何不自由なく恵まれた毎日を送っている小学生にとって、カンボジアの子ども達の生活ぶりはかなりの衝撃だったようだ。毎日食べられること、水が飲めることの有難さを知り、カンボジアへ行ってよかったと感想文を寄せてくれた。

                 12月19日   理事長 根岸恒次

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HIV(エイズ)感染者が増えている

 全世界で猛威をふるうHIV(エイズ)、カンボジアはアジアの中でも感染者数が多いとされる。

 カンボジア政府の保健省内にあるエイズ対策局、ホー・ブンレン副局長(写真右)にお会いし、カンボジアの現状とその対策について話を聞いた。

  現在カンボジアには61、400人のエイズ感染者がおり、昨年だけでも新たな感染者が1、090人もいたという。昨年のエイズによる死亡者数は6、980人と、アジアの中でも死者数が多い国のひとつだ。

 こうした現状に対し国の施策といえば、もっぱら外国からの援助待ちだ。日本や欧米などの先進諸国から無償援助があり、感染者や発病者に対し薬を無料で差し上げている。しかし、感染者が増えている現状では、とても全員に薬を与える余裕がないし、人材もいないという。

 ホー副局長は「カンボジア政府は日本から沢山の援助をいただいているが、その多くが橋や道路などのインフラ整備で、エイズ対策費としては少ないのが現状です。NGOの皆さんにも関心を持ってもらい、物心両面で支援していただけたら嬉しい」と話した。

 もう一つ、エイズ孤児の問題がある。本人はエイズではないが、親がエイズで亡くなり孤児になってしまった子ども達が全国に8、000~10、000人いるという。その多くが親戚に預けられているようだが、ストリートチルドレン化する子も多く、社会問題となっている。

 最近は医学の進歩で新薬が作られ、エイズも不治の病ではなくなりつつある。薬さえ欠かせなければ、一生病気と向き合い生きることも可能だ。しかし社会的な偏見もあるため正しい知識の普及と、エイズに罹らないための対策も欠かせない。特に、母子感染などでエイズになってしまった子ども達は何の落ち度もないのに一生十字架を背負わされる訳だ。こうした子ども達が安心して暮らせる生活の場を作ろうと、本会では児童養護施設を建設しており、来年から運営を開始する。理解ある皆様のご支援をお願いしたい。

       2008年11月12日       理事長  根岸恒次

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対立の歴史に終止符を!

 カンボジアはインドシナ半島の真ん中にある。東南はベトナム、北西はタイ、北はラオスに囲まれている。そんな地形の関係で、カンボジアの歴史は隣国との領土をめぐる争いの歴史といえる。

 カンボジアの国土は日本の半分、カンボジア人に言わせると、昔は今の2倍あったという。ベトナム南部のメコンデルタは「コーチンチャイナ」といって元々カンボジア領だったが、幾多の戦争を経て現在はベトナムの領土に、タイ東部も元はカンボジア領だったが、戦争でタイに取られたという。ベトナム南部を南カンボジア、タイ東部を北カンボジアと呼ぶカンボジア人もいる。

 そんな関係からか、カンボジア人はベトナム人、タイ人が嫌いだ。日本人がベトナムを旅した後にカンボジアへ入国する際には、ノンラー(半円形の帽子)とアオザイ(ベトナムの民族衣装)を身に着けないようにと、旅行会社から注意が出されるほどだ。

 先日、プノンペン市郊外にあるベトナム人村を訪れる機会があった。300人あまりのベトナム人が身を寄せ合い暮らしている様子で、カンボジア人を寄せ付けない雰囲気を感じた。村の中心にカトリック教会の本堂があって、ほとんどの家庭にマリア像や写真が飾られていた。仏教を信奉するカンボジア人にとっては考えられない風景だ。

 タイとの関係もよろしくない。タイ人女優が「アンコールワットはタイのもの」と言ったか言わないかで暴動にまで発展、プノンペン市内のタイ系工場、レストラン、ホテル、大使館までもが襲撃された事件が5年前にあった。最近はタイとカンボジアの国境にあるヒンドゥー教寺院遺跡「プレアビヒア」が今年の7月に世界遺産の登録が決まったことで国境紛争が再燃、銃撃戦があってカンボジア兵士が2人死亡した。

 この2カ国に比べると、ラオスとの関係は比較的良好だ。接する国境が短いこともあって領土問題が少なく、何しろベトナム・タイに比較すればカンボジアとラオスはどんぐりの背比べでGDPも似たり寄ったりだから、嫉妬の対象にもならないのだろう。しかし最近ラオスの発展著しく、最近のGDPはラオスが大きくリードしているというから、それを知ったらカンボジア人の感情が微妙に揺れ動く可能性がある。

 しかしいつまでも対立していては、21世紀の基調である共存共栄の新時代についていけなくなる恐れがある。世界はブロック化の傾向があり、東南アジアも「ASEAN」として地域共同体が構築され、将来「ユーロ」みたいに通貨統合の時代が来るかもしれない。

 カンボジア人の高いプライド、クメール民族としての誇り、伝統を重んじる国民性、どれも大切だが、この小国が生き残るために今何が必要なのか、真剣に考える時がきている。

       2008年10月24日    理事長    根 岸 恒 次

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ストップ!児童労働

 ILOの調査では、何らかの経済活動に従事している子どもは世界で3億1、700万人おり、その数がもっとも多いのがアジア・太平洋地域で全体の6割を占めるという。働く子どもの大半が途上国に住んでいるのが実情だ。

 「21世紀のカンボジアを支援する会」では、農村に住む貧しい子ども達が学校へ行けるようにと5年前「クメール教育里親基金」を創設し、現在約500人の小・中学生を教育支援している。奨学金(返済の必要なし)を出してくれる里親さんを募集し、里子が学校を卒業するまで面倒を見るシステムだ。

 ところが最近異変が起きた。世界的な傾向である諸物価の高騰、食糧不足という「静かな津波」がカンボジアの農村部にも押し寄せ始めた。そのため、里子が学校へ行くのをストップさせられ、子どもを出稼ぎに出してしまう親や親戚が増えているのだ。児童労働は日本では違法だが、途上国では当たり前のように子どもが労働に駆り出されている。背に腹は代えられないということか。男の子は建築現場、女の子は縫製工場で働くケースが多い。

 5年かけて軌道に乗せた貧しい子ども達への支援体制も、世界的なうねりの中に飲み込まれていく様に危惧を覚えるとともに、小さなNGO団体の限界を痛感する一方、90%の子ども達が支援金で学校に通っていることもまた事実、やはり地道に闘っていくしか方法はない。

 カンボジアは経済成長率が年8%を超え、外国資本による工場誘致、土地バブルによる空前の建設ブームが人手不足に拍車をかけている。カンボジアの総人口は1、400万人、そのうちの18歳以下が人口の50%に当たる700万人だ。仕事にありつけるのはありがたいこと、しかし児童労働は極力避けるべきだし、ましてや低賃金で子どもを酷使しては絶対いけない。性産業で働かせるなどもってのほか、買う大人は厳しい罰則を受けて当然だ。

 思えばわが国も一昔前まで子どもが元気に働いていた。(今も働いているかもしれない)私も中学生の時新聞配達をして家計を助けた。国全体が貧しかったので違和感はなかった。発展していく過程にかならず通らねばならない道、カンボジアもその立場にあるのかもしれない。しかし子ども達にはやはり一生懸命学び、思い切り遊んでほしい。

         2008年10月17日     理事長  根岸恒次

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衝撃的だった初訪問

 私とカンボジアのお付き合いは十三年前にさかのぼる。1995年6月、「日本・カンボジア交流協会」という支援団体が創設され、私は当初からその団体の中核として活動していた。そして、初めてのカンボジア訪問は同会主催のスタディツアー、同年11月末から12月にかけて実施された4泊6日の旅だった。以後毎年5~6回のペースでカンボジアを訪問しているから、訪問回数は多分70回を超えていると思われるが、印象深いのはやはり初訪問の旅だ。

 それまで海外旅行は何度か経験していたが、途上国への旅は初めて、ましてや当時まだ内戦が完全に終わっていない国、恐いもの見たさもあって不安と期待が入り混じり、恐る恐る首都プノンペンの国際空港へ着いた。国際空港といっても日本のローカル空港より小さく、当時まだ便数も少なく静かな空港だった。

 薄暗い空港を出、プノンペン市内のホテルに向かうバスから見えた街の光景は十三年経った今でもはっきりと目に焼きついている。とにかく暗い。空港から市街地をつなぐメインストリートなのに街灯が見当たらない。街に入っても信号がない、ネオンがない、広告らしき看板もほとんどない。

 次に驚いたのが、家族全員と思われる大勢が小さなバイクに鈴なりで乗っている光景。多い時は6~7人が乗っていた。今でも時々見かけるが、最近は少し規制されたのかせいぜい3~4人、日本では原付きは2人乗りもできない。

 滞在中、アンコールワットを訪れた。そこで目にした光景は忘れたことがない。地雷にやられたのだろう、手や足を吹き飛ばされた幼ない子ども達が参道にすわり、物乞いしていた。今でこそ地雷を踏んでケガをする子どもは少なくなったが、当時は1日に数十人もの農民や子ども達が犠牲になっていた。テレビや写真で見て知ってはいたが百聞は一見にしかず、目の当たりにすると心が勝手に動くものだ。

 この子達は多分学校へ行かせてもらえないのだろう、せめて学校だけは行かせたい。そんな感情が芽生えた瞬間、私は行動する人間に生まれ変わった気がする。理屈はいらない、心があるだけでもダメ、とにかく行動あるのみ、そうすれば共感して資金を出してくれる人がかならず現れる。この子達を救いたいがため、私は来る日も来るも募金に明け暮れた。その甲斐あって、1997年、私が所属した団体は地雷などで障害者になってしまったカンボジア人のための職業訓練所を立ち上げ翌年には運営を開始、被害に遭った多くの人たちがその恩恵を受け、手に職を持ち自立していった。

 運営が順調になったことを見越して私はそこを辞め、2000年1月に現在代表を務めるNPO法人「21世紀のカンボジアを支援する会」を創設し、今に至っている。

          9月19日    代  表    根 岸 恒 次

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一歩前に進む勇気がほしい

 団塊の世代を中心とする戦後生まれの定年が始まった。多くの企業が60歳定年で、退職後は契約の形を変えて職場に残るか、関連事業所でもう少し働くか、別会社に再就職するか、まったく仕事をやめて悠々自適に過ごすか、その後の生き方は千差万別だ。しかし年金を満額受給できるのは数年先という人が大半で、60歳で完全リタイヤ組は今のところ少数派だ。

 男女の平均寿命が80歳を超えた今、60歳はまだ若い。人によっては90歳、100歳まで生きるこの時代、この先最低20年から長ければ40年は生きることができるのだから、60歳は第二の人生のスタート台だ。しかし残念なことに、この若さで人生の幕を引いてしまう人が多いようだ。この時代、それなりには生きていけるだろうが、生きるだけなら動物と変わらない。人として生きる以上は最後まで立派に生き抜く姿勢がほしいものだ。

 偉そうなことを言っている私も実はこの12月で還暦、いわゆる団塊世代の定年組だ。しかし私には定年はない。8年前に起業した会社が今のところ順風満帆、しかし生き馬の目も抜かれる厳しい世の中、いつ傾いて倒産するやもしれないが、そんなことを考えていてはこの先何もできないので、常に前向きに頑張ろうとしている。

 その頑張ろうとする気持ちを支えてくれているのがカンボジア支援活動だ。マザー・テレサは「世の中で一番さびしいことは人に必要とされないこと」と言っている。カンボジアの人たちが私を必要としている限り、私は活動を停止することはないと思う。

 日本とカンボジアの架け橋になろうと心に決めて8年前に始めた支援活動、現在私は隔月にカンボジアを訪れ様々な支援活動や交流活動を行なっており、これからも健康である限りこのペースを崩さずにカンボジアの人たちとお付き合いしていくつもりだ。とても定年なんて言っておられず、しなければならないことが日本でもカンボジアでも山積みだ。百聞は一見にしかず、あなたも是非一度カンボジアなどの途上国を訪れてほしい。世界の惨状をその目に焼きつけた時、あなたの心は揺れるはずだ。

 60歳はまだ若い。あなたが培ってきた経験、知識、人脈、どれをとっても一級品だ。そんな財産を使わない手はない。確かに体力は落ちたが、知力・気力はまだまだ。濡れ落ち葉とバカにされふがいない人生で終わるか、あなたを必要とする人たちのためにもう一度人肌脱ぐか、すべては決断次第。一歩前に進む小さな勇気がほしい。

                 9月9日   代表  根岸恒次

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