明日がくることは奇跡です

『食わず嫌い』という言葉がある。食べてもいないのに、何となくまずそうなので食べない状態を指しているのだが、私はカンボジア語(クメール語ともいう)に関して長い間『食わず嫌い』だった。自慢ではないがよくバカにされていたものだ。『数十回も行っている割りにはカンボジア語ができない』と。このままではいけないと反省し、何度か挑戦するも長続きせず、少しかじっては挫折する繰り返しだったが、今年は一念発起し、前向きに勉強を始めた。すると、会話も文法も意外に仕組みが簡単だということが分かった。書くのは難しそうだが、しゃべるのは何とかなりそうな所まできた。後は単語力と、暇さえあれば覚えようとしている。(ボケ防止にも効果あり)

寿命が延びたおけがで、定年後の人生が長くなった。『08年版高齢社会白書』によると、2017年には75歳以上のいわゆる後期高齢者人口が前期高齢者人口を上回る見通しであり、2055年には後期高齢者が全人口の25%に達すると推計される。

しかし寿命が延びたとはいえ、人間一生の中でできることは限られている。限られているだけに『これだけは!』といえるものを徹底してマスターしたいものだ。たとえばスポーツ。最低一つは得意なスポーツを。テレビで野球観戦だけではどうも。前述の語学もそうだ。長い一生、自国語のみではチョット情けないかな。趣味ならプロ並みのレベルを目指そう。写真でも、絵画でも、音楽でも、文章でも。世界一周の旅もいい。好奇心旺盛で何にでもトライする姿勢で生きている人は年を取らない。

余命あと六ヶ月と医師から宣告を受けた二人組が、やりたいことを箇条書きにメモし、一つずつこなしていく映画『最高の人生の見つけ方』を観た。スカイダイビング、カーレース、世界旅行、エベレスト登山と巡り、最後は家族の元へ。そして二人はかけがえのない家族愛に包まれてジ・エンドというストーリーだ。映画の世界とはいえ、座して死を待つよりはるかに充実した生き方だ。(お金がないとできないが)

TBS系列『イブニングファイブ』が放送し、全国民が涙した『余命一ヶ月の花嫁』の長島千恵さんは乳がんが肺に転移し、24才で生涯を閉じたが、勇気を持ってテレビに出演、早期発見が大事だとよびかけた。短い生涯だったが、家族や友人に囲まれ素敵な一生だった。人生は長さではなく中身で勝負だ。

知恵さんは『明日がくることは奇跡』と言い残した。裏を返せば今日というかけがえのない一日を大切に生きようと。

         2008年5月23日(金)   理事長 根岸恒次

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カンボジアの4月はメチャ暑い!

 4月のカンボジアは1年で最も暑い。日中は日陰でも30度を超え、日なたは多分50度近くになっているだろう。幸いなことに雨季ではないので日本のような蒸し暑さはないが、直射日光は肌が焼け焦げるような気がする。そんな猛暑のカンボジアに4月7日から14日まで滞在した。

 日本のお正月は寒い冬の真っ最中だが、カンボジアは猛暑の4月13日から15日までの3日間。私はこの12年間で70回以上カンボジアを訪問しているが、この時期の訪問はこれで2度目だ。

 日本のお正月は初詣での習慣があるが、敬虔な仏教国であるカンボジアでは多くの人々がお寺に行き、お坊さんに読経してもらう。昼間は暑いので、夕方になってからお参りに行く人が多い。4月13日、友人達に連れられて昼間の暑い時にプノンペン市内のウナロム寺院へ出かけたが、1時間もいると頭がクラクラするほどの暑さに閉口、早足にエアコンの効くホテルへ戻った。

 思えば今から33年前の1975年、お正月の終わった4月17日、ポルポトに率いられた軍隊がプノンペンを制圧、悪夢の3年8ヶ月が始まったのだが、今のプノンペン市民は何事もなかったように平和を楽しみ、享受している。そう、これでいいのだ。この平和が永遠に続いてほしいと、お寺に祈願した。

 話は変わるが、カンボジアの電力事情はかなり悪い。特に、猛暑で電気が異常に消費され、需要が供給をはるかに上回り1日1回は停電の洗礼を受ける。しかも長いときは停電が半日以上も続く。プノンペン市内にある私どもの事務所も例外ではなく、特にエアコンが使えなくなると早めに事務所を退散し、ホテルに戻る毎日だった。

 カンボジアは発電所が少ないため、お隣のタイやベトナムから電気を買っているそうだが、それでも需要に追いつかないのだから困ったものだ。日本も一昔前まではよく停電したが、今停電すると次の日の新聞に載るほどの大事年になる。カンボジアでの生活は停電に慣れることから始まる。

 夕方、少し涼しくなってきたので泊まっているホテルの屋上にあるビアガーデンに行った。やがて日が暮れると、星が輝き始めた。星のことをカンボジア語で『プカーイ』というそうだ。夜空にプカプカ浮かんでいるかな?と意味のない空想をしながら食事を楽しんだ。明日は春爛漫の日本へ帰れる。四季のある日本は素敵な国だと、他国の空を眺めてつくづく思った。

         2008年5月14日(水)  理事長 根岸恒次

 

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投資は労働者の人権を尊重して

 20年以上に及ぶ内戦を乗り越えたカンボジア王国はいま、政治的、経済的に安定しており、近年は8%以上の経済発展を続けている。社会の安定は人口増加をもたらし、現在の総人口は約1、400万人といわれている。その人口構成を見ると、19歳~28歳の比率が約22%、18歳以下が約50%と若年層の比率が高く、雇用を求める若者は毎年20万人に達すると聞いている。

 カンボジアの主産業は縫製業で、その大半が外国からの直接投資による企業誘致だ。現在約300社が30万人を超える雇用を創出し、最大の産業に成長した。ほかに履物や飲料品などの工場も進出して雇用機会は増えているが、毎年新たに雇用を求む20万人に及ぶ若年層を吸収するには、更なる企業の誘致が必要だ。

 カンボジアにおける外資系企業は全体で500~600社、製造業や観光業を中心に投資が行われ、そこで働く現地人は50万人~60万人と推計される。外資系企業を国別に見ると、韓国、台湾、中国、マレーシア、シンガポールなどが多くを占め、日本は遅れをとっている。ODA(政府開発援助)では日本は最大の援助国だが、民間では下位に甘んじているわけだ。隣国のタイやベトナムには数え切れないほどの日本企業が進出しているのになぜだろうか?

 まず考えられるのが、カンボジアのイメージの悪さだ。日本のマスコミがカンボジアを紹介するとき、かならず出てくるのが地雷・ポルポトといった負の遺産だ。そんな国に投資して政変でも起きたら大損だと、日本の多くの企業家は思っている。ポルポト裁判が遅々として進まないことも遠因だ。

 昨年6月、日本とカンボジアの間に『日本カンボジア投資協定』が結ばれた。今まで少なかった日本からの投資も、少しは増えるのではと現地の人は期待している。カンボシア政府労働・職業訓練省のボン・ソット大臣は『あらゆる面でカンボジアの状況は良くなっているが、まだ手探りの状態です。若い世代が育ち、専門学校や大学を卒業しても就職先が少ないのです。日本の企業家の皆さんに、カンボジアを投資先に選んでいただけるように期待しています』と話している。

 労働条件の改善も急務な課題だ。狭く、蒸し風呂のような会社の寮の部屋に10人以上が押し込められ、朝から晩まで低賃金で働かされているカンボジアの女工さんはかつての『女工哀史』に通じるものがある。不満が爆発すると騒動に発展しかねないのが途上国の現状、各国は働く者の人権を尊重した上で積極的に投資してもらいたいものだ。       

 2008年4月23日(水)   理事長  根岸恒次

                      

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信用は大きな財産、私にはこれしかない

 私は、2000年1月に本会を立ち上げたが、その前に約4年間、同じようにカンボジアを支援するNGO団体『日本カンボジア交流協会』に所属、事務局長としてたびたび現地に足を運んだり、国内のイベントを主催したりして、それなりに忙しく充実した日々を過ごしていた。しかし、創立者でなければ代表者でもない、所詮やとわれマダム、会の代表者の考え方と行いに違和感を感じるようになった私は、1999年7月に同会を辞めたあと、翌年1月、有志を募り新団体『21世紀のカンボジアを支援する会』を立ち上げた。Gomiyamas

 新団体の創設にはエネルギーがいる。当時私は50歳、長年勤めた事業所を辞めて何もかも一から出直し、会社を立ち上げて軌道に乗るまで3年かかった。新団体も行き先不安だったが、4年間の蓄積、経験、築き上げた人脈は無駄ではなかった。そして私には大きな夢があった。縁あってカンボジアの支援活動に首を突っ込んだ以上、こうなったら日本とカンボジアの架け橋になってやろう、残りの人生をこれに賭けてみようと。

 大切なこと、それはやる気・勇気・根気、私はやはり日本人、精神論がすきなんだとつくずく思った。しかし精神論だけでは現状を変えることはできない。行き着くところはやはりマネー。もちろんお金だけでもダメ。真摯な気持ちで活動しなければ人はついて来ないし、財布の紐も固い。それでは皆さんが紐をゆるめてくれるにはどんな方法が・・・ 。そんなことを考えながら五里夢中の8年間だったが、お陰さまで昨年本会に寄せられた寄付金の総額は3、500万円を超えた。創設初年度の寄付金総額は44万円、なんと8年間で80倍の寄付金をいただく大きな団体に成長させていただいた。これもひとえに私という人間を信用してカンボジア支援活動に力を貸してくださった多くの皆さんのおかげだ。信用は最も大きい財産だ。

 この8年間、本会は学校の校舎を10棟、井戸を100基、遊具を10セット、それぞれの学校に寄贈し、奨学金は500人に、学用品をもらった生徒は100、000を下らない。そのほか、職業訓練、民話紙芝居、日本語学校への講師派遣、緊急食糧支援、巡回診療などなど、カンボジアで行ったプロジェクトは数多く、成果をあげている。

 小さな種が芽生えて苗木になり、たくさんの実のなる大きな木に成長するように本会も大きく成長したが、水や肥料をあげてくれたのは見ず知らずの大勢の皆さんであることを忘れてはならない。

  2008年3月27日(木) 代表 根岸恒次

 

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繁栄と貧困が同居するカンボジア

Shonenso  カンボジアは不思議な国だ。人口わずかに1、400万人、面積は日本の半分に満たない小さな国だが、2007年の経済成長率は9㌫に達する見込みで、唯一の主産業である縫製工場は約300社、350、000人の女工さんが働いている。しかしその90㌫が台湾、香港、韓国などの外資系で、おいしいところは外国に持っていかれる。女工さん達の給料も1ヶ月平均50ドル(5、500円程度)と低いが、物価の安いカンボジアでは何とか食べていける。

 プノンペン郊外には経済特区ができ、工場が次々に建設されている。地価も上昇し、マンションやアパートの建設ラッシュだ。1年前には30、000ドルだったアパートが今50、000ドルで売買されており、かつて日本が体験した土地バブルがカンボジアを急襲している。わが国でも問題になっているが、カンボジアは日本以上の格差社会、日本でも買えそうにない高級車でプノンペンの町は溢れている。

 交通渋滞も年々ひどくなっている。狭いプノンペンの町に100、000台の車と1、000、000台のバイクがひしめき、夕方のラッシュは今や日本の比ではない。少なくとも都会では景気がよく繁栄の一途だが、農村に行くと状況が一変する。電気、ガス、水道はなく、相変わらず江戸時代のような貧しい家並みが延々続く。

 カンボジアのリゾート、シアヌークビルをのぞいた。たくさんの欧米人が高級ホテルに泊まり海岸でバカンスを楽しんでいたが、お客さんが出すカンやビンなどのゴミを子供達が拾い集めていた。世界中どこでも見られる光景だが。

 カンボジアは大きく二極化している。一言でいえば金持ちと貧乏人。自由主義経済の宿命だが、わが国には生活保護や年金、保険といった社会制度が行き届き、特殊なケースを除き飢えて死ぬことはない。カンボジアは何もなく、生きていくのに何の保障もない。餓死してもその遺体を役所所は引き取ってくれない。火事になっても事前にお金を払わないと消防車は来ない。唯一頼りになるのが家族や親戚だが、こうした身寄りのない子供達は最悪だ。このような子供達の唯一の見方が私たちのようなNGOだが、そのNGOも最近は支え手となっている会員の高齢化で以前のように会費が集まらず、どこも運営に四苦八苦している。八方ふさがりだが、やるしかない。

2008年3月21日(金) 代表 根岸恒次

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こんな大人になってほしくない

カンボジアの首都、プノンペンから車で1時間半、コンポンスプー県ウドン郡、クランポンニア小学校に通う里子、セン・リハウ君(男の子)の家庭を訪問した。1995年生まれの13歳。セン君は1歳の時に相次いで両親を亡くしたため、セン君に兄弟はいないが、おばさんの子供達4人とともに暮らしている。おばさんの夫も最近亡くなり、小さな床屋を1人で経営しているそうで、生活はかなり苦しい様子だ。

毎月もらう教育資金で、セン君は学用品を買ったり、お小遣いに使ったり、残りはおばさんに渡して生活費に充てているそうだ。もし日本に住む里親さんからの教育支援がなかったら、多分学校には行かせてもらえなかったケースだ。

セン君の成績は48人中5番目と優秀で、再来年はぜひとも中学校へ進みたいと言っていた。ちなみに、校長先生の話では中学校への進学率は80㌫だそうで、進学しないのは女の子が多く、その理由は一家を支えるべく縫製工場へ就職するのだそうだ。

静かで利発そうなセン君、さて将来はどんな大人になるのだろうか。医者になりたい、学校の先生になりたい、サッカー選手になりたい、と夢は大きいが、それはそれで結構、しかしまずは社会の一員として、人に迷惑をかけない自立した立派な人になってほしいと願う。

というのは、セン君を訪問した後、本会が所有する児童養護施設建設予定地に立ち寄ったら、かなりのゴミが散乱していた。隣に住むカンボジア人が投げ込んだ形跡があった。温厚な私だがこれには怒り心頭、ゴミを投げ入れた隣人を現場に呼びつけて注意し、スタッフがゴミをかき集め隣に投げ返した。それでも腹の虫が治まらない私はさらに村長を呼んで村民の教育を徹底するよう厳重に抗議し、隣人に二度と同じことをしないように一筆書かせるよう伝えた。不届きなこの隣人は『この程度のことで何で怒るのか?』と罪の意識がなく、謝ろうとしない。

 日本なら警察沙汰になる所だが、カンボジアはこうしたマナーや公衆道徳教育がなわれていない。まず、人に迷惑をかけないこと、カンボジア人に限らず人間である以上生きていく上での鉄則だ。サン君にはこんな大人になってほしくない。

 2008年3月14日(金) 代表 根岸恒次

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