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2008年3月

2008年3月27日 (木)

信用は大きな財産、私にはこれしかない

 私は、2000年1月に本会を立ち上げたが、その前に約4年間、同じようにカンボジアを支援するNGO団体『日本カンボジア交流協会』に所属、事務局長としてたびたび現地に足を運んだり、国内のイベントを主催したりして、それなりに忙しく充実した日々を過ごしていた。しかし、創立者でなければ代表者でもない、所詮やとわれマダム、会の代表者の考え方と行いに違和感を感じるようになった私は、1999年7月に同会を辞めたあと、翌年1月、有志を募り新団体『21世紀のカンボジアを支援する会』を立ち上げた。Gomiyamas

 新団体の創設にはエネルギーがいる。当時私は50歳、長年勤めた事業所を辞めて何もかも一から出直し、会社を立ち上げて軌道に乗るまで3年かかった。新団体も行き先不安だったが、4年間の蓄積、経験、築き上げた人脈は無駄ではなかった。そして私には大きな夢があった。縁あってカンボジアの支援活動に首を突っ込んだ以上、こうなったら日本とカンボジアの架け橋になってやろう、残りの人生をこれに賭けてみようと。

 大切なこと、それはやる気・勇気・根気、私はやはり日本人、精神論がすきなんだとつくずく思った。しかし精神論だけでは現状を変えることはできない。行き着くところはやはりマネー。もちろんお金だけでもダメ。真摯な気持ちで活動しなければ人はついて来ないし、財布の紐も固い。それでは皆さんが紐をゆるめてくれるにはどんな方法が・・・ 。そんなことを考えながら五里夢中の8年間だったが、お陰さまで昨年本会に寄せられた寄付金の総額は3、500万円を超えた。創設初年度の寄付金総額は44万円、なんと8年間で80倍の寄付金をいただく大きな団体に成長させていただいた。これもひとえに私という人間を信用してカンボジア支援活動に力を貸してくださった多くの皆さんのおかげだ。信用は最も大きい財産だ。

 この8年間、本会は学校の校舎を10棟、井戸を100基、遊具を10セット、それぞれの学校に寄贈し、奨学金は500人に、学用品をもらった生徒は100、000を下らない。そのほか、職業訓練、民話紙芝居、日本語学校への講師派遣、緊急食糧支援、巡回診療などなど、カンボジアで行ったプロジェクトは数多く、成果をあげている。

 小さな種が芽生えて苗木になり、たくさんの実のなる大きな木に成長するように本会も大きく成長したが、水や肥料をあげてくれたのは見ず知らずの大勢の皆さんであることを忘れてはならない。

  2008年3月27日(木) 代表 根岸恒次

 

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2008年3月21日 (金)

繁栄と貧困が同居するカンボジア

Shonenso  カンボジアは不思議な国だ。人口わずかに1、400万人、面積は日本の半分に満たない小さな国だが、2007年の経済成長率は9㌫に達する見込みで、唯一の主産業である縫製工場は約300社、350、000人の女工さんが働いている。しかしその90㌫が台湾、香港、韓国などの外資系で、おいしいところは外国に持っていかれる。女工さん達の給料も1ヶ月平均50ドル(5、500円程度)と低いが、物価の安いカンボジアでは何とか食べていける。

 プノンペン郊外には経済特区ができ、工場が次々に建設されている。地価も上昇し、マンションやアパートの建設ラッシュだ。1年前には30、000ドルだったアパートが今50、000ドルで売買されており、かつて日本が体験した土地バブルがカンボジアを急襲している。わが国でも問題になっているが、カンボジアは日本以上の格差社会、日本でも買えそうにない高級車でプノンペンの町は溢れている。

 交通渋滞も年々ひどくなっている。狭いプノンペンの町に100、000台の車と1、000、000台のバイクがひしめき、夕方のラッシュは今や日本の比ではない。少なくとも都会では景気がよく繁栄の一途だが、農村に行くと状況が一変する。電気、ガス、水道はなく、相変わらず江戸時代のような貧しい家並みが延々続く。

 カンボジアのリゾート、シアヌークビルをのぞいた。たくさんの欧米人が高級ホテルに泊まり海岸でバカンスを楽しんでいたが、お客さんが出すカンやビンなどのゴミを子供達が拾い集めていた。世界中どこでも見られる光景だが。

 カンボジアは大きく二極化している。一言でいえば金持ちと貧乏人。自由主義経済の宿命だが、わが国には生活保護や年金、保険といった社会制度が行き届き、特殊なケースを除き飢えて死ぬことはない。カンボジアは何もなく、生きていくのに何の保障もない。餓死してもその遺体を役所所は引き取ってくれない。火事になっても事前にお金を払わないと消防車は来ない。唯一頼りになるのが家族や親戚だが、こうした身寄りのない子供達は最悪だ。このような子供達の唯一の見方が私たちのようなNGOだが、そのNGOも最近は支え手となっている会員の高齢化で以前のように会費が集まらず、どこも運営に四苦八苦している。八方ふさがりだが、やるしかない。

2008年3月21日(金) 代表 根岸恒次

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2008年3月14日 (金)

こんな大人になってほしくない

カンボジアの首都、プノンペンから車で1時間半、コンポンスプー県ウドン郡、クランポンニア小学校に通う里子、セン・リハウ君(男の子)の家庭を訪問した。1995年生まれの13歳。セン君は1歳の時に相次いで両親を亡くしたため、セン君に兄弟はいないが、おばさんの子供達4人とともに暮らしている。おばさんの夫も最近亡くなり、小さな床屋を1人で経営しているそうで、生活はかなり苦しい様子だ。

毎月もらう教育資金で、セン君は学用品を買ったり、お小遣いに使ったり、残りはおばさんに渡して生活費に充てているそうだ。もし日本に住む里親さんからの教育支援がなかったら、多分学校には行かせてもらえなかったケースだ。

セン君の成績は48人中5番目と優秀で、再来年はぜひとも中学校へ進みたいと言っていた。ちなみに、校長先生の話では中学校への進学率は80㌫だそうで、進学しないのは女の子が多く、その理由は一家を支えるべく縫製工場へ就職するのだそうだ。

静かで利発そうなセン君、さて将来はどんな大人になるのだろうか。医者になりたい、学校の先生になりたい、サッカー選手になりたい、と夢は大きいが、それはそれで結構、しかしまずは社会の一員として、人に迷惑をかけない自立した立派な人になってほしいと願う。

というのは、セン君を訪問した後、本会が所有する児童養護施設建設予定地に立ち寄ったら、かなりのゴミが散乱していた。隣に住むカンボジア人が投げ込んだ形跡があった。温厚な私だがこれには怒り心頭、ゴミを投げ入れた隣人を現場に呼びつけて注意し、スタッフがゴミをかき集め隣に投げ返した。それでも腹の虫が治まらない私はさらに村長を呼んで村民の教育を徹底するよう厳重に抗議し、隣人に二度と同じことをしないように一筆書かせるよう伝えた。不届きなこの隣人は『この程度のことで何で怒るのか?』と罪の意識がなく、謝ろうとしない。

 日本なら警察沙汰になる所だが、カンボジアはこうしたマナーや公衆道徳教育がなわれていない。まず、人に迷惑をかけないこと、カンボジア人に限らず人間である以上生きていく上での鉄則だ。サン君にはこんな大人になってほしくない。

 2008年3月14日(金) 代表 根岸恒次

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