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2008年12月26日 (金)

ポルポト政権悪夢の3年8ヶ月

 1975年4月17日朝、正月明けのプノンペンに兵士を乗せた装甲車やトラックが続々入ってきた。ポルポト率いるクメール・ルージュは農村主体の徹底した共産主義思想のもと、すでに73年頃までに農村部の大半を掌握したが、ロン・ノル将軍を亡命させついにプノンペン入城を果たした。当時プノンペンに住んでいた約200万人の市民はその後1週間で強制退去させられ、プノンペンはゴーストタウンになった。

 地方に強制移住させられたプノンペン市民は「新人民」と呼ばれ、農村にいた「旧人民」と区別されて過酷な強制労働に従事させられた。食べるものがなくて餓死したり、栄養失調で死んだり拷問や処刑で殺された人々は200万人以上と言われている。

 ポルポト政権で唯一、今もカンボジアの財産になっているのが灌漑用水だ(写真)。カンボジアの最盛期であるクメール王朝の時代、王は一辺数キロメートルもある大きなため池を作り、田んぼに水が行き渡るように工夫した。(東バライ・西バライ)ポルポトもこれを見習い、全土にダムや用水を作ったといわれている。これらは現在も使われている。しかし、そのために国民を使役し、沢山の犠牲者を出してしまったことは、この政策が真に国民を幸せにできたかどうか、疑問が残る。

 こうした破天荒な政権が長く続くはずがない。フン・セン現首相やヘン・サムリン元首相が反旗を翻してベトナムに応援を求めたため、1979年1月7日、ベトナム戦車部隊がプノンペンを制圧し3年8ヶ月に及ぶ恐怖政治が終わった。

 プノンペン市内にある「トゥールスレン博物館」。ポルポト政権前は高校だったが、この時代は市民を拷問するために使われた刑務所だ。この場所で拷問し、自白した市民を処刑した場所が、ここから20キロメートル離れた場所にある「キリングフィールド」。2万人以上が処刑されたといい、今も殺された人々の遺骨が残されている。

 ポルポト時代に13歳だった私の友人はプノンペンからカンボジア北部のバンテイミンチェイ県に強制移住させられ、来る日も来る日も灌漑用水の工事に駆り出された。父や兄は餓死し、本人も空腹に耐えかね、野ねずみを取って食べようとしたところをポルポトの兵士に捕まり、3日3晩、ねずみを前に働かされた思い出が今になっては懐かしいと言っていた。

 ポルポト政権が崩壊して30年、カンボジアの若い世代は大半がポルポト時代のことを知らない。日本も同じだが、戦争の語り部は惨状を後世に語り継いでほしい。

                 Mekon1226 12月26日  理事長  根岸恒次

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