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2009年1月

2009年1月30日 (金)

フランス植民地時代~ポルポト政権までのカンボジア

 19世紀後半、ヨーロッパ列強によるアジアの植民地化が進む中、フランスは1858年、ベトナムに侵略を開始、83年にベトナム全土を支配すると87年にカンボジア、99年にラオスを併合、「仏領インドシナ」として支配した。

 フランスの支配下、カンボジアではプノンペンの街が整備され、道路や学校なども建てられてそれなりに恩恵を受けたが、所詮植民地経営のためのものであり、特に農村では貧しい生活を余儀なくされていた。

 歴史が動いたのは1940年のこと。第2次世界大戦のヨーロッパ戦線でフランス本国がドイツに占領された弱みに付け込み、日本軍は仏領インドシナ全域を平和裏に占領した。しかしその日本も45年に降伏し、終戦を迎えた。

 日本の敗戦でベトナム・カンボジア・ラオスの3国は再びフランスの支配下に戻ったが、独立を求める第1次インドシナ戦争が始まった。その後カンボジアはシハヌーク元国王の外交努力により53年、カンボジア王国として独立を果たした。(写真は、53年、プノンペン市内に建てられた独立記念塔)

 だが、平和は長く続かなかった。冷戦の始まりである。隣国ベトナムでは、ソ連・中国の援助を受けた共産主義政権の北ベトナムとアメリカ・フランスの援助を受けた南ベトナムに分断された。南ベトナムで民族解放戦線(ベトコン)が蜂起すると、アメリカはアジアの共産主義化を恐れて軍事介入した。ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)だ。65年には北爆も始まり、戦争は泥沼化していった。

 アメリカは、北ベトナムとベトコンゲリラによる執拗な抵抗を受けて敗北濃厚となり、70年頃には南ベトナムから軍隊を引き揚げ始めたが、南ベトナムの孤立化を恐れたアメリカはカンボジアでロン・ノル将軍による軍事クーデターを起こさせ、中国と親しかったシハヌーク国王を追放した。同時にベトコンゲリラを掃討するという名目でカンボジアに侵攻、さらにラオスにも侵攻してインドシナ半島は再び戦乱の時代に逆戻りした。

 カンボジアでは、ロン・ノル政権に対抗してシハヌーク国王派が、急進的な共産主義思想を唱えるポルポト派(クメールルージュ)と手を組んでカンボジア民族統一戦線を結成、カンボジアは内戦状態に突入した。

73年、アメリカがインドシナ半島から全面撤退すると事態が急変、ベトナムでは75年に南北統一が実現、カンボジアでもロン・ノル将軍が亡命してポル・ポト率いるクメールルージュがプノンペンを制圧、3年8ヶ月に及ぶ独裁政権による民族大虐殺が始まることになった。

                 2009年1月30日   根岸恒次

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