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2013年10月

2013年10月24日 (木)

カンボジア自衛隊派遣20周年に思う

   1991年、紛争各派がパリに集まり「パリ和平協定」が結ばれた。これを受け92年、国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)のもとに陸上自衛隊の施設部隊がカンボジアに派遣され、93年9月までに計1200人の隊員が道路、橋の修理などの任務に赴いた。
   自衛隊にとっては、ペルシャ湾派遣に続く2度目の海外派兵だったが、陸上自衛隊としては初めてで、国連のPKO活動としても初の試みだった。日本がカンボジアに部隊を展開したのは、旧日本陸軍の仏印進駐(1941年)以来のことだ。

   自衛隊以外に文民警察官や選挙監視ボランティアなどが派遣されたが、選挙期間中に国連ボランティアの中田厚仁さん、文民警察官の高田晴行警視が襲撃事件で死亡する悲劇が起きた。

  自衛隊の施設部隊が任務を終え、今年で20年経った。宿営地だった南部のタケオ市には、今もなお放置されたままの仮設宿舎が残っている。 Dh000049
【自衛隊の仮設宿舎(タケオ市郊外)】

  任務終了20年という節目の年、たまたまタケオ市に行く用事があったので、カンボジア人スタッフに案内してもらい、仮設宿舎のある場所に行ってみた。20年も前のことなので、スタッフは無論のこと、道端で尋ねてもほとんどの人がその場所を知らなかった。何とか探し当て、お目当ての仮設宿舎に辿り着いた。ついでに、自衛隊が作ったという、プノンペンからタケオ市に通じる国道に架かる橋、舗装道路なども拝見し、今もなお立派に使われていることを確認し、ホッとしたところだ。

  自衛隊が任務を終え撤収、UNTACも引き上げて新生カンボジア王国が誕生した。あれから20年、5年に1度実施される下院選挙が今年の7月に行なわれた。選挙に大規模な不正があったということで、野党が国会をボイコットするなど不穏な空気が漂っているものの、民主主義を標榜する国の姿が出来つつある。犠牲になった2人の日本人を始めとし、派遣された自衛隊員の皆さんなどの努力の汗を、両国国民は決して忘れてはならない。

2013年10月25日 根岸恒次(法人理事長)

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2013年10月16日 (水)

里子の家でカットのボランティア

  9月17日~22日、小林なおみさん(親子)、斉藤さん(夫婦)、栗田さんの5人がカンボジアを訪問した。小林さんは長年、里親としてカンボジアの子どもたちを教育支援してきたが、里子たち(4人)に会うのは今回が初めてだった。

  19日、小林さんが支援している4人の里子の家を順に巡った。初めて会う里子たちはかなり緊張していたが、お土産をもらったり、激励のあいさつを受け、とても喜んでいた。

  特に印象に残ったのは、2番目に訪問した里子(チェア・チャントンちゃん)。彼女は母一人、子一人。母親は病気がちで、家計を助けるため今年の春頃に中学を退学、今は縫製工場で働いている。本来、学校を退学したら里子支援も打ち切りになるのだが、小林さんのご厚意で、退学後も生活支援の名目で支援を継続している。
 母親は、小林さんに初めて会い、感激と嬉しさで泣いていた。聞けば、本当に貧困な生活ぶり。チャントンちゃんの月給と小林さんからの支援金で細々と暮らしているそうだ。

20131005
【涙の初対面(通訳ももらい泣き)】

  小林さんは美容師さんだ。同行した娘さんも美容師で、この機会とばかり、里子の髪をカットしてあげた。カンボジアでカットのボランティア、これからも続けたいと小林さん。

  病気や事故、親の離婚などにより両親や片親を失い、経済的にも困窮しているカンボジアの子どもたちが学校へ行けるよう、本会は2003年に「クメール教育里親基金」を創設、9月末日現在、約350人の子どもたちを教育支援している。小林さんのように複数の子どもを支援している里親さんも多くいる。

里子への支援がスタートして早や10年、この間、多くの子どもたちがその恩恵を受けて通学し、卒業していった。途中で退学した子どももいるが、学校で学ぶことができた喜びは大きい。カンボジアの就学率は高くなったものの、中途で退学する子が半数以上だ。里子が大きくなって就職できたとき、まずは学校へ行かせてくれた日本人の足長おじさんに感謝することだろう。

2013年10月15日 根岸恒次(法人理事長)

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