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2014年3月

2014年3月27日 (木)

「福祉・退役軍人・青年省」新大臣を表敬訪問

  昨年のカンボジア政府内異動で、本会を管轄する「福祉・退役軍人・青年省」の大臣が交代したため3月19日省庁を訪れ、ヴォン・ソート新大臣を表敬訪問した。本会の現地アドヴァイザーでもある、シアン・ブン・レン内務省大臣も同行してくれた。

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【右から4人目がヴォン・ソート新大臣、その左隣がシアン・ブン・レン内務省大臣】

  ヴォン・ソート新大臣は前職が労働省大臣で、カンボジア下院国会議長を務めるヘン・サムリン氏の義理の弟にあたる。ヘン・サムリン氏といえば、1979年にポルポト政権を倒して政権を樹立した歴史上の人物、高校の教科書にも登場する著名人だ。フンセン首相と二人三脚で、現政権をささえてきた。5月下旬、ヘン・サムリン議長が出席するイベントにヴォン・ソート大臣が私を招待してくれたので、都合つけ参加する予定。

  ヴォン・ソート新大臣は、本会の活動の中で特に「クメール教育里親基金」の活動に関心を寄せられ、政府としても応援するので今後も活動の範囲を拡充してほしいと要請があった。カンボジアで活動する数ある国際NGOの中でも、本会のような教育里親制度を導入している団体は少ないという。

  表敬訪問に内務省大臣が同行したこともあり、カンボジアのテレビ局が取材し、夕方のニュースにその様子が放映された。学校の開校式にはかならずと言ってよいほど地元のテレビ局が取材に訪れるため、私は多分10回以上、カンボジアのテレビに出演しているだろう。

  カンボジアでは沢山のNGO団体が活動しているが、誰もが大臣に会うことができる訳ではない。積み上げた活動実績と政府からの信頼関係が肝要。会員の皆さんの真摯な支援活動を、カンボジア政府が高く評価してくれている証でもある。

2014年4月5日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年3月17日 (月)

騒音と砂ぼこりの国、カンボジアから

  3月のカンボジアは酷暑の通過点、最も暑いのが4月から5月にかけて。カンボジア正月(4月13日~15日)が暑さのピーク、日中の温度はゆうに40度を超える。

  3月5日~20日、カンボジアに滞在した。5日頃はさほど暑さを感じなかったが、帰る頃には猛暑日が連続した。この国に春はなく、一気に夏へと季節が巡る。

  3月のカンボジアは乾季の真っ只中、滞在中一滴の雨も降らなかった。そのため、未舗装道路では大型車が砂ぼこりをあげて走行、沿道の民家は大変な被害を被っていた。
私も前回の訪問で喉を傷めて苦労した経験を生かし、今回はマスクを持参して車中に入ってくる砂ぼこりから身を守った。おかげで今の所、喉の調子は良好だ。

  乾季といえばカンボジアは結婚式のシーズン、5月から始まる雨季は田植えで忙しくなるため、この時期一斉に行なうのだ。昨夜も、本会事務所のあるアパート前の道路で結婚パーティーがあり、夜中大音響が鳴り響いた。近所迷惑もいいところだがこれもカンボジアの文化、道路で結婚パーティーをやるのがこの国のスタイルだ。

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【事務所前の道路で行なわれた結婚パーティー】

  無謀運転もあとを絶たない。プノンペンからシェムリアップへ行く途中、夜行バスが路肩に横転していた。居眠り運転か。滞在中、2度も追突された。たいしたことはなかったが、脇見運転の仕業だ。この国に歩道はなく、交差点も車優先なので、うかうか歩けない。

  とにかく車が多すぎる。しかも大きな車ばかりで、日本では主流の軽自動車を見かけることはほとんどない。道路が狭いのだから、軽自動車に向いていると思うが、大きな車を所有することがステイタスだそうな。プライドの強い国民性がうかがえる。

  そんなカンボジアだが、なぜか日本人には優しい。日本の官民あげての支援の多さについて、カンボジア国民はよく理解している。反面韓国人、中国人を嫌うカンボジア人が多い。態度が横柄という。お金持ちになった日本人が海外へでかけ始めた頃に似ている。

  この国で、日本は産業面で中・韓に押されているが、国際協力の面では追随を許さない。自信を持とう。

2014年3月25日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年3月 3日 (月)

篠田朝隆さんの逝去に思う

   「するめいか」は、見た目は今一だが噛めば噛むほど味がでる。

  もう10年も昔のことだが、「カンボジアふれあいの旅」は当時「カンボジア愛と感動の旅」と称し、旅行会社JTBの主催で実施していた。当時は参加を希望する人が多く、東京・虎ノ門にあるJTB本社にて、事前説明会を行なっていた。その説明会場に、遅れて入ってきた老人がいた。「道が分からなくて苦労した、案内の仕方が不親切だ」と、担当したJTB社員を叱っていた。勿論、私も平身低頭謝ったが、頑固でとっつきにくそうな印象を受け、果たしていつまで会の活動に参加してくれるものだろうかと、疑心暗鬼だった。

  その後度々、カンボジアへの旅行に参加し、本会の雰囲気にも慣れたので、数年前に本会の理事をお願いしたところ、一つ返事で引き受けてくれた。地元でも会の広報活動を熱心にしてくれ、会員さんも沢山勧誘してくれた。小さな会がここまで大きく成長できたのも、こうした地道な活動があったからだ。

  2年前にお会いしたときは元気そうだったが、2月末日、突然に訃報の知らせを受けた。10年前の頑固そうな老人、新潟県小千谷市に住む篠田朝隆さんその人、享年89歳だった。最近音沙汰なかったが、入院しておられたようだ。3月2日、小千谷市内で行なわれた告別式には、新潟県にお住まいの三林けい子理事に、会を代表して参列してもらった。

  2004年10月に発生した「新潟中越地震」では大きな被害を被った。篠田さんの家も傾き、数年後には新築された。篠田さんからの要請もあって何度か新潟を訪れ、救援物資を持参したり、励ましのイベントにも加わった。

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【新潟中越地震直後 篠田さんを見舞う (2004年10月 写真の中央が篠田さん)】

  篠田さんはお酒が大好きだった。アルコールが入ると雄弁家に早代わり、独特の新潟弁でたくさんお話してくれた。

  人はいつか必ず死ぬことになっている。これだけは秦の始皇帝でも叶わなかったことだ。
お別れは辛く寂しいことだが、必ず通る道だ。
 赤ん坊は泣きながら産まれてくるが、周囲の人はその子の誕生を笑って迎えてくれる。死ぬとき、周囲の人は泣いてくれるだろうが、今度は、笑って死にたいと思う。それには、人生を、人として恥じることなく最後までまっとうし、満足してお別れしたい。篠田さんの最期も、きっとそうだったに違いない。

2014年3月15日 根岸恒次(法人理事長)

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