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2014年3月 3日 (月)

篠田朝隆さんの逝去に思う

   「するめいか」は、見た目は今一だが噛めば噛むほど味がでる。

  もう10年も昔のことだが、「カンボジアふれあいの旅」は当時「カンボジア愛と感動の旅」と称し、旅行会社JTBの主催で実施していた。当時は参加を希望する人が多く、東京・虎ノ門にあるJTB本社にて、事前説明会を行なっていた。その説明会場に、遅れて入ってきた老人がいた。「道が分からなくて苦労した、案内の仕方が不親切だ」と、担当したJTB社員を叱っていた。勿論、私も平身低頭謝ったが、頑固でとっつきにくそうな印象を受け、果たしていつまで会の活動に参加してくれるものだろうかと、疑心暗鬼だった。

  その後度々、カンボジアへの旅行に参加し、本会の雰囲気にも慣れたので、数年前に本会の理事をお願いしたところ、一つ返事で引き受けてくれた。地元でも会の広報活動を熱心にしてくれ、会員さんも沢山勧誘してくれた。小さな会がここまで大きく成長できたのも、こうした地道な活動があったからだ。

  2年前にお会いしたときは元気そうだったが、2月末日、突然に訃報の知らせを受けた。10年前の頑固そうな老人、新潟県小千谷市に住む篠田朝隆さんその人、享年89歳だった。最近音沙汰なかったが、入院しておられたようだ。3月2日、小千谷市内で行なわれた告別式には、新潟県にお住まいの三林けい子理事に、会を代表して参列してもらった。

  2004年10月に発生した「新潟中越地震」では大きな被害を被った。篠田さんの家も傾き、数年後には新築された。篠田さんからの要請もあって何度か新潟を訪れ、救援物資を持参したり、励ましのイベントにも加わった。

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【新潟中越地震直後 篠田さんを見舞う (2004年10月 写真の中央が篠田さん)】

  篠田さんはお酒が大好きだった。アルコールが入ると雄弁家に早代わり、独特の新潟弁でたくさんお話してくれた。

  人はいつか必ず死ぬことになっている。これだけは秦の始皇帝でも叶わなかったことだ。
お別れは辛く寂しいことだが、必ず通る道だ。
 赤ん坊は泣きながら産まれてくるが、周囲の人はその子の誕生を笑って迎えてくれる。死ぬとき、周囲の人は泣いてくれるだろうが、今度は、笑って死にたいと思う。それには、人生を、人として恥じることなく最後までまっとうし、満足してお別れしたい。篠田さんの最期も、きっとそうだったに違いない。

2014年3月15日 根岸恒次(法人理事長)

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