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2014年6月

2014年6月30日 (月)

カンボジアで夢を探してみませんか?

 5月の有効求人倍率が1・09倍と、22年ぶりの高水準となったそうだ。求職者100人に対し、109人分の仕事があるということ。問題は仕事の中身。パートや派遣社員などの、いわゆる非正規の求人が中心、この20年で雇用の質が大きく変化した。

 バブル崩壊後の「失われた20年」を経て、雇用状況は一変した。非正規社員数は1千万人から2千万人へと倍増したが、正社員は500万人減った。安い賃金で労働力を確保しないと経営が成り立たない企業が増えたためだ。
 さらに生産拠点を海外に移した製造業からの求人が減る一方で、若い人手を必要とする飲食業などの求人が増え、人手不足で牛丼屋や居酒屋が店舗数を減らしていることが大きな話題となった。

 こうした傾向は、若い人たちから夢を奪っているように思える。大学は出たけれど正社員になれず、アルバイト生活に甘んじている若者が相当数いるようだ。お金がないと結婚もできない。昔は当たり前のことだった、家庭を持ち子どもを育てることすら出来にくくなった感がある。
 バブル崩壊後、非正規採用を増やして生き残りをはかった企業、それを擁護するべく、小泉政権が非正規採用を大幅に認めた結果の産物だ。

 しかし、一歩海外へ出れば、別世界がそこにはある。日本人として生まれれば便宜上日本国籍を有するが、それ以前に私たちは地球市民であって、なにも日本という狭い空間に拘束される必要は全くない。場合によれば国籍を変える方法もある。
 例えば、EU(ヨーロッパ共同体)内では旅行だけでなく、自由に移住することができる。自国の政策が気に入らなければ他国に移住することもでき、世界は住民が国を選ぶ時代になりつつある。米国もしかり、気に入った州に移住することが当たり前になっている。ASEAN(東南アジア諸国連合)も、そのような方向を目指しているという。

 そこで、若い人たちには日本という枠にこだわることなく、海外に渡り、夢を実現してほしいと願う。特に私が年の三分の一近く住むカンボジアは若者の国(平均年齢22歳)であり、まさに発展途上の国だ。夢がごろごろしている国、入国ビザも簡単に取れ、国際結婚も可能、カンボジア人と結婚して所帯を持つ日本人も沢山いる。

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【牛の乳を飲む子ども。カンボジアっておもしろい国ですネ。】

 私の若い頃は、海外へ行くのはお金がかかり(確か1ドル360円?)日本以外の国で暮らすことは困難だったが、時代が変わり、航空券も安くなっていつでも海外へ行くことが可能になった。このアドヴァンテージを活かさない手はない。
 勿論、そのためには語学(特に英語)をマスターすること。あとは海外で役立つスキルを磨くことだ。恐れずにチャレンジすることが大切に思う。
 二度とない青春、悔いのない日々を過ごしてほしい。

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2014年6月26日 (木)

加速する日本企業のカンボジア進出

 カンボジアで活躍する日本企業といえば、まず挙げられるのが「味の素」。なぜか、カンボジア人は味の素が大好き。500グラムの業務用が家庭用に販売されているほどだ。私も街を歩いていると、バイクタクシーのお兄さんに「アジノモト!」と声をかけられる。味の素はいまや食卓の友。

 自動車については、いわずもがなトヨタがナンバーワン。ホンダ、三菱、ニッサン、マツダなどが追随している。普通車はなぜかトヨタカムリが多く、私の見立てでは、普通車の約半分がカムリだ。バイクはホンダ。バイクのことをホンダという人が多い。
最近、安価で性能のよい韓国製が出回ってきた。特に軽自動車は韓国製が多い。道路の狭い都市部では、これからは軽自動車が売れていくのだろう。

 カンボジアに進出した日本企業は、すでに100社を超えた。その背景には、好調なカンボジア経済がある。
 ここ数年、カンボジアの経済成長率は7%を超える水準が続いており、1人あたりGDPも昨年は1,000米ドルの大台を超え、1,080米ドル(推計値)となった模様。06年の1人あたりGDPが534米ドルだったので、この7年間で倍増したことになる。ユーザーとしても、カンボジア人は見直されてきたのだ。

 その一つが「イオンモール」のオープン。数年かけてプノンペン市内に建設中だったイオンモールが今月ついにオープン、物珍しさも加わり大賑わい。150を超える店舗の中には、日本でもなじみの居酒屋や牛丼屋が出展したそうだ。

【オープンしたイオンモールの写真】
写真をクリックすると拡大表示されます。
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 しかしながら、1人あたりGDPは、東南アジア諸国連合(10カ国)の中では、ミャンマーと最下位を争っている。優等生・マレーシアの10分の1だ。

 GDPが低いということは裏をかえせば低賃金ということ。カンボジア政府は4月、これまでの最低賃金、月額80米ドルを95米ドルに引き上げたものの、アジアの中で相対的に低い状況は変わらない。中国やタイの賃金が上昇する中、低賃金のカンボジアに進出する日本企業が、今後ますます増えていくことが予想される。

 1970年~80年台の内戦の暗いイメージを払拭し、明るい希望が見え始めたカンボジアだが、地方へ足を運ぶと貧しい家が軒を連ねる。成長の恩恵にあずかっているのは、まだ都市部に住む一部のカンボジア人かもしれないが、成長していることは間違いない。一方的な支援から対等な立場での民間交流の時代へ、さらに相互協力の時代へと移行しているのだろうか。

           2014年7月10日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年6月23日 (月)

92歳、生涯現役を貫く佃井庸八さんの生き方に感動!

 本会では、会員相互の親睦を深めるため毎年1回、一泊の懇親会を行なっている。今年は6月21日~22日、群馬県の藪塚温泉(今井館)で開催、全国から10人の会員さんが集った。静かな街並みの温泉宿、しかもシーズンオフということもあって、土・日にもかかわらず客は私たちグループのみだった。

 今回なぜ群馬県で開催といえば、最近、やや病気がちで「カンボジアふれあいの旅」もご無沙汰している佃井庸八さん(副理事長)に会いたいという会員さんからの要望によるものだった。佃井さんは藪塚温泉に近い桐生市在住、勿論懇親会にも参加してくれた。今年1月に92歳となり、本会開設以来、ずっと支えてきてくれて大長老である。

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【生涯現役、益々元気な佃井庸八さん】

 佃井さんは大正11年生まれ、青年時代に兵役の経験を持つ。インドネシアで終戦を迎え、命からがら復員した。その体験記を本会会報「アンコールワット」に掲載、大きな反響をよんだ。駐留していたインドネシアの村で酋長の娘と恋仲になったが、終戦により佃井さんはやむなく帰国。その時の体験を、「私のラバさん酋長の娘、色は黒いが南洋じゃ美人」と口ずさみながら、よく話してくれたものだ。

 佃井さんは、毎年3回実施する「カンボジアふれあいの旅」に約10年間、ほとんど休まず参加してくれた。渡航回数30回を誇る佃井さんだが、寄る年波には勝てず、昨年7月の旅に参加したのを最後に、カンボジアから遠ざかっている。それでも国内での活動に前向きに参加し、私たちを励まし続けている。個人的には染色会社の社長として、92歳の今日も車を運転して仕事をこなしているという。そろそろ運転免許証を返上したら?と進言しても、まだまだやることが一杯あるからと、家族の心配をよそ目に相変わらず運転しているそうだ。生涯現役がモットーだ。

 佃井さんの、年齢を感じさせないパワーはどこから来るのだろうか?そんな素朴な疑問に「日本は戦争をおこし、東南アジアの人たちに迷惑をかけた。にもかかわらず、インドネシアから復員できたのは村人たちのあたたかい支えがあったから。そんなアジアの人たちに恩返ししたい気持ちもある」と話してくれた。佃井さんは、日中の交流を深めるため地元桐生市の団体にも所属、何度も中国を訪問したことがあり、最近の日中関係の冷え込みを残念がっていた。

 超高齢化社会を迎えたわが国の、65歳以上の人口は3000千万人を超えた。国民の4人に一人が高齢者、近い将来、三人に一人、二人に一人の時代がやってくる。そこで問われるのが、高齢になってからの生き方、生き様。どう生きても命はいつか終わる。佃井さんのように、派手さはないが爽やかな人生を全うしたいものだ。

          2014年7月5日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年6月18日 (水)

日本とカンボジアの深いつながり

 日本とカンボジアの関係は、昔から深いつながりがある。
 遡ること17世紀、当時の日本は朱印船貿易が盛んだった。東南アジア各国に多くの日本人が渡り、各国に日本人街が形成された。カンボジアにも数百人の日本人がいたといわれている。その頃、カンボジアからカボチャが運ばれてきたらしい。
 アンコールワットに行くと、当時の日本人が、天竺と間違えて落書きをしたためた跡がいまも残っている。森本右近太夫一房という武士だ。

 先の大戦では、1940年~41年にかけて行なわれた日本軍の仏印進駐により、カンボジアも一時日本の支配下に入ったが、他国でみられた日本軍による略奪や殺戮は、カンボジアでは起きなかったそうだ。

 大戦が終わるとカンボジアは再びフランスの支配を受けるも、建国の父・シハヌーク前国王の粘り強い交渉の末、1953年、カンボジアは完全独立を果たした。
 しかしそれもつかのま、冷戦のあおりを受けカンボジアも内戦状態に。ロンノル政権→ポルポト政権→ヘンサムリン政権(日本など西側諸国は承認せず)と交代し、1991年、パリ和平協定によりやっと内戦が終結、カンボジアは国際社会に復帰した。

 日本とカンボジアは、1955年に友好条約が結ばれて以降、ポルポト政権の時代を除き一貫してカンボジア支援を行なってきた。カンボジアが受けた二国間援助の4割を日本が占めており、最大の援助国になっている。

 カンボジア支援の象徴として、2つの橋がある。1996年に完成した「日本橋」と、2000年に完成した「きずな橋」。特に「きずな橋」は友好の証として、カンボジア紙幣に印刷されている。また、ベトナムに通じる国道1号線(メコン川)にも橋を建設中、来年完成が予定されている。有償・無償資金協力・技術協力の累積援助額は、2300億円を超えた。

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【メコン川に架けられた きずな橋(コンポンチャム県)】

 このように、戦後一貫して援助してきた日本の取り組みが評価され、カンボジアの人たちには親日家が多い。東日本大震災のときも、カンボジア政府をはじめ、多くのカンボジア人から多額の義捐金や励ましのメッセージが寄せられた。

 勿論、政府開発援助(ODA)だけにとどまらず、我々NGO団体による民間レベルの支援にも大きいものがある。また最近は、民間企業による投資や工場誘致の動きが活発になり、カンボジアに住む日本人も増加している。

 日本とカンボジア、国力には相当な開きがあるも、同じアジアの一員として友好関係を深めていくことが大事、そのために一石を投じる役目を果たしてゆきたい。

          2014年6月30日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年6月13日 (金)

スローライフの国、カンボジアに住んでみませんか?

 5月25日付けのブログで、カンボジアは祝日が多いと伝えたところ、どのくらい多いのか、具体的に知りたいとのお便りを頂いた。

 順を追うと、1月1日=国際的なお正月、1月7日=勝利の日(ポルポト政権が崩壊した日)、2月14日=仏教の日、3月8日=国際的な女性の日、4月14日~16日=カンボジアのお正月、5月1日=メーデー、5月13日=お釈迦様の誕生日、5月13日~15日=シハモニ国王の誕生日、5月17日=農耕の日、6月1日=国際的な子どもの日、6月18日=モニク前国王王妃の誕生日、9月22日~24日=お盆、9月24日=建国記念日、10月15日=シハヌーク前国王を記念する日、10月23日=パリ和平協定を記念する日、10月29日=シハモニ国王即位の日、11月5日~7日=水祭り、11月9日=独立記念日、12月10日=国際的な人権の日。

 4月のカンボジアのお正月、9月のお盆、11月の水祭りは、その年により日にちが変わる。この3つは3日間の祝日になっているが、その前後も休むことが多いので、約1週間の長期休暇になる。
 祝日だけで27日、土・日曜日は原則としてお休み、お正月やお盆などの長期休暇を含めると、ざっくり年の3分の1以上がお休みとなる。

 加えて小学校・中学校・高等学校などは、日本の夏休みに当たる「長いお休み」=8月~9月(約2ヶ月間)、日本の冬休みに当たる「短いお休み」=4月のカンボジア正月を挟み約2週間。(ただし、カンボジアでは土曜日も授業をしている学校が多い)
 カンボジアでは、小・中・高校の多くが午前と午後に分かれる2部制授業だ。午前は7時~11時、午後は1時~5時が授業時間となっている。生徒が学ぶ時間は1日4時間だ。
 これでは追いつかないので、向学心のある生徒は塾に通い、補っている。

 私など、高度経済成長を経験している団塊世代は、まるで休むことが罪悪かのように錯覚していた猛烈世代だ。カンボジアの人たちはいつ仕事をするのだろうか?といぶかしげに思う反面、私のようにピークを過ぎた人間にとり、働きづくめではないカンボジアの生活に合っているのかもしれない。スローライフを目指す世代には、ある意味暮らしやすい国だ。
決して豊かな国ではないが、国全体がゆっくりしている、あくせく働かない、のんびりしているのだ。(エスカレーターを歩くと笑われます)

 最近、定年後を海外で暮らす日本人が急増しているそうだ。マレーシア、タイ、フィリピン、オースオラリア、ニュージーランドなどが人気あるそうだが、そろそろカンボジアも
候補地に名乗りを挙げてもいいのでは?

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【子どもたちがあなたをお待ちしています】

          2014年6月25日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年6月10日 (火)

「カンボジアわが愛 生と死の1500日」を読んで

 5月21日~25日、本会会員の遠藤啓さん(静岡県伊豆の国市在住)が、三嶋大社ギャラリー(静岡県三島市)で写真展「カンボジアの子どもたち」を主催、500人以上の人たちが来場した。同時に、遠藤さんが所属する全日本写真連盟三島支部主催による写真展も行なわれた。
遠藤さんは本会設立当初からの古い会員で、年に2~3回カンボジアを訪問、特に子どもたちの笑顔あふれる写真を撮り続けているアマチュア写真家である。

 5月22日、愛知県の鈴木千雄さんと一緒に写真展会場を訪れた。写真とともに展示された資料の中に、一冊の本が置いてあった。内藤泰子著「カンボジアわが愛 生と死の1500日」、ポルポト時代を生き抜いた外交官夫人の手記である。
 外交官夫人の生活から一転して動乱の渦に巻き込まれ、夫、娘、二人の息子を失い、飢えと虐殺の恐怖におののきながら1500日間、山中をさまよった奇跡の脱出行を、克明なメモをもとに綴った感動の手記だ。

 写真展終了後、遠藤さんにお願いしてこの本を送ってもらい、一気に読ませて頂いた。涙なくしては読めない貴重な一冊である。(多分絶版)

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【著作の表紙と、裏表紙に綴られた内藤泰子さんの直筆】

 1975年に政権を握ったポルポトは、極端な共産主義思想のもと、都市住民や知識層を農村に強制移住させ、過酷な労働を強いた。1979年1月、政権崩壊までに拷問、処刑、飢餓などにより100万人~200万人が犠牲になったとされる。

 著者の内藤さんは生還後、1979年に帰国したが、1982年、乳がんにより死去された。しかし、帰国から亡くなるまでの短い期間ではあったが、内藤さんは全国各地で講演に招かれたようで、遠藤啓さんも1980年5月に内藤さんの講演を聞き、その時会場で買った同書には内藤さんの直筆があった。「遠藤啓様 生きることは愛すること、愛することは生きること」。
内藤さんとの出会いが動機となり、20数年後、遠藤さんは本会の会員としてカンボジアの支援活動に参加するようになった。

 1980年といえば、私はまだカンボジアに縁がなく、「八王子市心身障害者福祉センター」の所長として、寝食を忘れ地域活動に明け暮れていた頃。まだ30歳そこそこの若輩だった。あの頃からカンボジアに興味を抱いていた遠藤さんには頭が下がる思いだ。

 出会いから出会いへ、そして今に至る流れの中で、壮絶な苦労の後、若くして病に倒れた内藤泰子さんの無念を晴らそうと、私は決意を一層強くした。

          2014年6月20日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年6月 5日 (木)

カンボジアの子どもたちはサッカーが大好き

 4年に一度の祭典、サッカー・ワールドカップが6月13日(日本時間)、ブラジルで開幕する。日本代表も5大会連続で出場するので、サッカーファンのみならず、しばらくは日本中が眠れぬ夜を過ごすことになりそうだ。ブラジルと日本の時差は丁度12時間、ブラジルが12日の午後5時なら、日本は13日の午前5時、覚えやすい時差である。

 実は、カンボジアにも国内リーグがある。正式名称は「メットフォンカンボジアリーグ」、通称Cリーグと呼んでいる。現在12クラブが加盟。1995年の設立なので、日本のJリーグとほぼ同時期に始まった。最近は日系チーム(アルビレックス新潟プノンペン)が新規参入、日本人元J1リーガーなどが在籍(3月の時点で15人)するなど、日本との関係が深まりつつある。

 カンボジアの国内リーグはプロリーグだが、多くの選手たちは他にも仕事を持っている。サッカーだけでは、まだ食べていけないのだ。サッカー会場も少なくて、国内リーグはすべてプノンペン市内(2会場)で開催、1月から8月までの土・日に行なわれる。電力不足なので、試合は昼間のみ。暑いさなかの試合なので、観客も汗かきながらの観戦だ。
 私も5年ほど前、プノンペン市内のオリンピックスタジアムで試合を観戦したことがあるが、日よけの屋根が少なく、暑くて往生した経験がある。

 そんな事情も重なり、カンボジア代表チームの世界ランキング(5月8日更新)は、207カ国中、190位。後ろから数えたほうが早い。(ちなみに日本代表チームのランキングは47位)ワールドカップの本戦参加など夢のまた夢、東南アジア地区予選で1勝するのも至難である。

 本会では、特に子どもたちのレベルアップに繋がればと、5年前から、コンポンスプー県内の小学生を対象に小学校対抗サッカー大会を開催、今年も11月に7回目の大会を開く予定だ。例年8つの小学校から代表チームが参加、優勝を競いあっている。「カンボジアの子どもたちに夢と希望を贈る市民の会」(茨城県日立市)との共同開催、同会から沢山の賞品が用意され、一部の方は審判として活躍している。

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【裸足で球を追いかける子どもたち。痛くないのかな?(写真提供=遠藤啓様)】

 カンボジアの子どもたちはサッカーが大好き、棒を差しただけのサッカーゴールだが、子どもたちは裸足で球を追いかけている。いつかメッシやネイマールのようなスター選手がカンボジアから誕生することを夢みている。

           2014年6月15日 根岸恒次(法人理事長)

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