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2014年7月

2014年7月30日 (水)

久々に「トウールスレン博物館」を訪問

 7月9日~15日に行なわれた第27回「カンボジアふれあいの旅」に参加した私は、久しぶりに「トウールスレン博物館」を訪問した。1975年4月から79年1月まで、カンボジア国民を恐怖のどん底に陥れたポルポト政権当時、この建物は高等学校の校舎だったが、いわれなき罪で逮捕、拷問・虐殺が行なわれた元刑務所跡である。約2万人のカンボジア人が殺されたといわれる、まさに東洋の「アウシュビッツ収容所」だ。

 2年ぶりに訪れた博物館の入り口に、84歳になるチュム・マイさんがいた。囚人として収容された大半の人が命を落とす中、命からがら生き延びた最後の生き証人といわれる7人のうちの1人だ。チュム・マイさんは、ここで自叙伝を販売しながら生計を立てている。
 体のあちらこちらに拷問された時の生々しい傷跡が残り、チュム・マイさんは指で示して説明してくれた。中には幼い子も拷問を受け、殺されたと話してくれた。父母が教師だったというそれだけの理由で。
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【チュム・マイさん(中央)と。(左はふれあいの旅に参加した加藤和代さん)】

 1979年1月7日、ベトナム軍に後押しされたヘン・サムリン(現国会議長)やフン・セン(現首相)らによりポルポト政権が崩壊、この日は勝利の日としてカンボジアの祝日になっている。その後も続く内戦を克服し、カンボジアの人たちは念願の平和を勝ち取った。
 今もなお政治の混乱があるものの、民主主義国家としての階段を一歩ずつ歩み続けている今日である。

 一方、ポルポト政権の人道に対する罪を裁く国際法廷が行なわれているが、被告人の高齢化などが理由で遅々として進まず、あいまいな形で幕引きされる可能性が高い。カンボジアには死刑制度がないため、最高でも終身刑、余命幾ばくかの高齢被告には大きな痛手ではなさそうだ。

 ポルポト政権下では、100万人~200万人のカンボジア人が亡くなったとされる。かなりアバウトな数字だが、病死・餓死・過労死などを含めると200万人という数字もあながち嘘ではなさそう。二度と同様の過ちがないよう、徹底的な検証と犯罪者への処断が求められている。

 ポルポト政権崩壊から35年、カンボジアは劇的変化を成し遂げた。トウールスレン博物館から直線距離にして2kmの場所に「イオンモール」がオープン、まさに隔世の感だ。しかし油断は禁物、平和を楽しむとともに、政治が間違った方向に進むことのないよう、注視していく必要がある。

 もっとも、今は日本の行く末のほうが心配だ。69回目の終戦記念日まであと2週間、日本が再び軍国主義の道を歩むことのないよう、行動していかなければならない。

           2014年8月5日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年7月23日 (水)

カンボジアが近くなりました

 六月三十日、カンボジアの首都プノンペンにイオンモールがオープンした。カンボジア最大のソリヤデパートをはるかにしのぐ大型ションピングセンターの出現により、テナントを出店した日本人経営者や店員らを中心に、在留邦人の数が急増している。

 さらに九月から、カンボジア⇔日本間に念願だった直行便の就航が決まった。これにより、地図上は近くても遠い国だったカンボジアに興味と関心を持ち、行ってみようと思う日本人が増えることだろう。

 本会だけ考えても、十年前に比較すると会員さんらの渡航が数倍増加している。私は隔月にカンボジアへ渡航しているが、最近は五団体(又は個人)以上の方々と常にご一緒している。

 また、年に数回訪問する方のため、カンボジア大使館が三年間有効のマルチ・ビジネスビザ発給を始めた。これにより、事前に取得する煩雑な作業がカットされた。もっとも、観光にビザを要する国は東南アジアではカンボジアとミャンマーぐらい。ビザが無くなれば、一層の旅行者が見込まれる。
 長期に滞在する日本人も増えている。本会の会員だけでも、三人の皆さんがカンボジアに長期滞在している。「ふれあいの旅」を受け入れているカンボジアの旅行会社にも、三名の若い日本人が会社のスタッフとして活躍している。

 最近、ある会員さんがプノンペン市内にアパートを借りた。これからの余生をカンボジアで過ごすそうだ。ボランティア活動しながらカンボジアライフを楽しもうと意気込んでいる。グローバルな時代になったのだから、何も日本に固執する必要はさらさらないと思う。

 カンボジアと日本の交流が盛んになり、人的往来が多くなることは勿論大歓迎だが、だからといって、カンボジアの抱える問題が一挙に解決する訳ではない。繁栄する都市から一時間も車を走らせば、相変わらず貧困な暮らしをしている集落が目立つ。本会はこのような集落に入り、特に子どもたちに寄り添って歩んでいくことをモットーにしている。
 機会あればぜひ、私たちの取り組んでいる現場を覗いてほしい。

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【今回も沢山の里子を訪問し、激励してきました】

           2014年7月30日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年7月 9日 (水)

七夕の夜に思う

 七夕の夜、残念ながら梅雨の真只中、「おりひめ」と「ひこぼし」は、天の川で年に一度の出会いを果たすことができたのだろうか?とロマンティックな心配をしてしまった。

 私とカンボジアの出会いも、7月のことだった。今から19年前、私が所属していた団体がカンボジアから要人を招き、カンボジアへの投資セミナーを開催した。そのことがきっかけとなってカンボジアへの支援と交流を目的とする会が発足、私は事務局長として実務の責任を負うことになった。

 カンボジアという国について、当時は知識も関心もなく特別な気持ちもなかったが、その年の暮れ、初めてカンボジアを訪問する機会に恵まれた。現地の様子をこの目で見、カンボジアへの興味が沸々とわいてきた。特に子どもたちの惨状を目の当たりにし、「この子たちを何とかしてあげたい」という感情が芽生えてきた。

 あれから19年が経ち、今私は国際NGOの代表として、カンボジアへの支援と交流に汗を流している。カンボジアに留まらず、インドや雲南省(中国)の子どもたちへの支援活動にも携わっている。一つの出会い、一つのきっかけが、後々の人生の方向性を如実に示してくれた。

20140725_1_2 【冷たい水、おいしいな!】

20140725_2_3 【テープカットのまねごと。どこを切るのかな?】

20140725_3_2 【水上生活村では船で通学、楽しそう!】

 人生は出会いの連続だ。人との出会い、良書との出会い、最適な場所との出会いなど。出会いにより人は成長もするが、あまり良くない出会いがあって時には堕落することも。しかしそれもまた人生の良薬であり、その経験をプラスに変えて行くことも大切だ。

 今日の新聞に、興味ある記事が載っていた。7月7日は七夕であるとともに、日本と中国が全面戦争に至るきっかけとなった盧溝橋事件が起こった日だという。不幸な歴史の幕開けではあったが、中国にとっては7月7日に起きたこの事件により、国内で対立していた国民党と共産党が手を結ぶきっかけになった。歴史的和解により、中国は一丸となって日本軍と戦い、勝利を収めたわけだ。七夕伝説は中国の故事でもある。

 さてあなたは、七夕に良き出会いがありましたか?最近、人に会っていますか?余計なお世話と言われそうだが、年を取ると人に会うのがおっくうになる傾向がある。実は私もその一人、なるべくなら人に会わず、ひがな読書三昧の日々を過ごしたい願望がある。それも生き方の一つ、否定はしないが、そうなると先が見える気がしてならないので、今日も私は新鮮な出会いを求め、心のアンテナをより高く掲げている。

 明日からカンボジアへ。良き出会いを期待して心はずむ夜である。


           2014年7月25日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年7月 3日 (木)

信用は大きな財産、私にはこれしかない

 私は2000年1月に本会を立ち上げたが、それ以前に約4年間、他団体のカンボジア支援活動にボランティアとして関わっていた。それなりに充実した4年間だったが、何か物足りなさを感じた私は一念発起、区切りよく2000年1月に本会を立ち上げた。
 創立当初のメンバーは10人にも満たない小さなグループだったが、結束して活動を展開した結果支援の輪が徐々に広がり、2003年1月には東京都よりNPO法人の認証を受けることができた。

 何でもそうだが、ことを始めるには相当なエネルギーが必要だ。ロケットを打ち上げるようなものだ。会を作った時私は丁度50歳、肉体的、精神的にギリギリの年齢だった。65歳になった今では、とても出来ないことだ。
 しかし幸いにも、ボランティアとはいえ4年間の活動実績があった。この間に培った現地の人たちとの厚い友情、信頼関係を活かし、本会創立後も順調に実績を積み上げることができた。

 もちろん、今に至るまで、相当な苦労があったことはいうまでもない。活動資金のこと、会員獲得のこと、現地パートナーのことなどなど、頭の痛い難問山積の日々だった。4年間の実績があったにせよ所詮ボランティア活動、一国一城の主となった今、いざというときに助けてくれる人は誰もいなかった。自らが先頭に立ち、道を切り開くしかなかったが、自らを苦境に追い込むことが信じられないパワーを生む源になることも学んだ。

 大事なこと、それはやる気、勇気、根気。私は日本人、精神論が好きだった。しかし、精神論はお金を産んでくれない。「最後は金目でしょ」と言って謝罪した大臣がいたが、本音を口外してはいけない。内心皆そう思っているのだから、心の内に留めておけばよかったのだ。私にとってもお金=活動資金は大いに必要、この世知辛い世の中、財布の紐を中々ゆるめてくれないのが実情だが、「米つきバッタ」のように支援の必要性を訴えつつ、今にたどり着いたわけだ。

 振り返ってみると、金脈も人脈もない、一介のサラリーマンだった私がこうして活動できる根底は、やはり信頼関係だと思う。私のような者を信頼してくださり、カンボジアに建設した校舎は20校、井戸は250基、遊具は30校、最近始めたトイレ建設もすでに10箇所、教育支援している子どもは350人、児童養護施設「夢ホーム」も作った。

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【井戸の贈呈式に出席 小学校の先生たちと記念撮影(2012年11月 写真提供=遠藤啓様)】

 しかし、折角構築した信頼関係も一夜にして壊れることがある。一瞬の油断が命取りになった例は枚挙にいとまない。心したいものだ。

 小さな種が芽生えて苗木となり、やがて実のなる木に成長した。しかし、水や肥料をあげてくれたのは、数多くの支援者の皆さんだということを決して忘れない。

           2014年7月20日 根岸恒次(法人理事長)

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