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2014年8月

2014年8月28日 (木)

ポルポト政権下で生き延びた日本人妻による体験記を読んで

 8月24日から26日にかけ、「かながわ県民センター・展示場」で開催した写真展「アジアの子どもたち」のお手伝いに来てくれた遠藤啓さん(静岡県伊豆の国市・本会会員)が、一冊の本を持ってきてくれた。タイトルは「カンボジアの戦慄」(細川美智子・井川一久共著、1980年、朝日新聞社刊)。ネットで調べたが、政治的理由により、早々と絶版になったそうだ。当時は冷戦の真只中、不思議にもわが国の政府は西側諸国に同調し、悪名高きポルポト政権を承認していた関係だろうか?

 著者の一人、細川美智子さんは1942年、東京都世田谷区に生まれた。1962年、留学後日本で仕事をしていたカンボジア青年と結婚、カンボジアのプノンペンに居を構えた。
 2人の男の子に恵まれ、平穏な生活をしていた矢先、1975年4月にポルポト派がプノンペンを制圧、不幸にも出国のタイミングを失った細川さんは、1979年1月にポルポト政権が崩壊するまでの3年8ヶ月間、カンボジア国内に身を置き、地獄の苦しみを味わうこととなった。本書はその間の貴重な体験記である。

 ポルポト政権が誕生する前、カンボジアには二十数人の日本人妻がいたが、そのうちの7人がカンボジアに残された。その中の一人、内藤泰子さんのことはすでに当ブログでも紹介したが、ポルポト政権崩壊後生還できた日本人女性は、内藤泰子さんと細川美智子さんの2人だけだった。(残る5人は行方不明のようだ)

 細川さんの言葉を借りれば、ポルポト政権下のカンボジアは、国全部が劣悪な刑務所と化していた。餓死、病気、処刑などにより、100万人~200万人が命を落としたとされる。
 同一民族によるこれだけの犠牲者数は、世界史上極めて稀なことである。

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【かんがい用水の建設作業をする当時の人たち(1976年頃)】

 この事実だけを見ると、カンボジア人は残酷な民族ではないかと誤解されがちだが、真実は正反対である。カンボジア人は真綿のような白い心を持っていたそうだが(細川さんの言葉)、そのことが返って、悪魔の政権に付け入る隙を与えてしまったのだろう。軍国主義化していく日本にブレーキをかけることができなかった戦前の日本人にも共通している気がするのだが。

 あれから35年、カンボジアは平和になり、当時のことを知るには、ポルポト時代の刑務所跡「トウールスレン博物館」に行くほかに方法がない。カンボジアの人たちは、忌まわしい過去を振り返ることすらせず、今ある平和と繁栄を謳歌している感がある。それはそれとして素晴らしいことだが、二度と不幸な歴史を繰り返すことがないよう、カンボジア国民の為政者に対する鋭い監視の目が必要に思う。

           2014年9月5日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年8月22日 (金)

今年は3つの小学校に新校舎が完成します!

 カンボジアには約6千の小学校があるが、多くの小学校で校舎の老朽化が進んでおり、緊急に建て替えを必要とする校舎が少なくとも2千校あると聞く。

 本会では、現地の小学校からの要請に基づき、2003年から今年に至るまで、20の小学校(1校は中学校)に校舎を寄贈してきた。節目の20校目となったのは、今年の7月に贈呈式を行なった「トントロラッチにいがた小学校」(コンポンチャム県・生徒数=210人)。同校には老朽化した校舎が1棟あるのみだったが、このほど4教室の校舎が完成、7月11日に贈呈式を行なった。日本からも20人が式に参加した。

 建設資金の大半を提供してくれたのは、「世界の恵まれない地域に小学校を作る会」(新潟市秋葉区・石川幸夫代表)。足らない分は「新潟発→カンボジア支援プロジェクト730」(新潟市中央区・三林けい子代表)と本会が補填した。

 「世界の恵まれない地域に小学校を作る会」では毎年10月、新潟市内でチャリティーコンサートを開催、アジア諸国にたくさんの小学校校舎を寄贈してきた。今年のチャリティーコンサートはシャンソン歌手の菅原洋一さんを招き、10月5日に開催する。
 新潟市民の愛の証が消えることのないように、同校のセカンドネームを「トントロラッチにいがた小学校」と命名した。

 21校目となったのが「ソカーオン佐々木小学校」(コンポンチュナン県・生徒数=100人)。4教室の校舎はほぼ完成、9月12日に贈呈式を行なうことが決まっている。佐々木テルさん(宮城県利府町・会員)が建設資金の全額を寄付してくれた。2012年に亡くなったご主人(佐々木二千六さん)の遺志によるもの。カンボジアの子どもたちが大好きだったご主人は天国で喜んでいることだろう。

 22校目の「オンペル辻小学校」(トボンクモム県)は新設の小学校で、新校舎ができれば400人~500人の子どもたちが通学することになっている。この地域は人口が多く、将来生徒が増えることを見越して5教室の校舎を建設中、11月に完成する予定だ。
 建設資金の全額を拠出してくれた辻敬子さん(熊本県合志市・里親会員)も、佐々木さん同様一昨年ご主人(辻義輝さん)を亡くしたが、カンボジアを愛してやまなかったご主人の遺志で校舎を寄贈することになった。

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【オンペル辻小学校の着工式に出席】

 カンボジアでは、日本のみならず全世界より、様々な国際支援がなされている。カンボジアに限らず、多くの国が外国からの援助を必要としているのが現状だ。わが国も災害が多く、外国への支援どころではないという意見もあろう。それも一理あるが、貧しさの度合いは比較にならない。このことは、支援を必要とする国へ行ってみて初めて理解できること、新聞やテレビだけではその深刻度が今ひとつ伝わらない。「百聞は一見にしかず」、特に若者は高い航空券を買ってでも、途上国へ足を運んでもらいたい。

           2014年8月30日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年8月18日 (月)

カンボジアでがんばる日本人

 平成25年度海外在留邦人調査統計(外務省)によると、カンボジアで暮らす日本人は1、479人とされている。しかしこの数字は「在カンボジア日本大使館」に届出をした日本人の数であって、短期・長期滞在を含めれば、実際には2,000人以上ではないか。
 私が初めてカンボジアを訪れた1995年(19年前)は200人程度だったと記憶しているので、この20年間で10倍増えたことになる。

 では、カンボジアにいる日本人はここで何をしているのだろうか、そもそも何故カンボジアに来ることになったのか、その目的・理由は様々である。

 まずは、大使館・JICA・ODA(政府開発援助)・NGO関係者など、ビジネス以外の目的で活動する人たち。その次が、日系企業による工場誘致で派遣されたり、カンボジアの企業に就職したり、自ら起業しレストランやクリニックなどを開業した人たち。最後が、日本をリタイヤして安住の地を求め、カンボジアで暮らす人たち。まだまだ少数派だが、カンボジアも暮らしやすい国だという認識が高まれば、より増えていくことだろう。

 変り種といえば、今年の1月、プノンペンで日本人初のトゥクトゥクドライバーが誕生した。日本人相手に、移動のみならず案内も日本語でできる強みがあって、結構繁盛しているという。最初はカンボジア人同業者から嫌がらせがあったりしたが、真摯に取り組む姿勢が認められ、同業者とも仲良く仕事をしているそうだ。

 本会がツアーや建設関連でお世話になっている会社(KHJグループ)にも、3人の日本人が働いている。鈴木和馬さん、人見美香さん、永井唯さんの3人。旅行業、建設業、語学校など、皆さん幅広い分野で働いている。カンボジア滞在期間は1~2年と短いが、あと数年はカンボジアでがんばりたいという。全員20代で独身、若い時期に異国で働くことが良い経験となって、将来活かされることだろう。

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【カンボジアの会社で働く日本人の皆さん(左から鈴木和馬さん、人見美香さん、永井唯さん)】

 この3人に共通していることは、カンボジアが大好きということ。「住めば都」で皆さんそれなりにカンボジアライフを楽しんでいる。都市に関していえば、コンビニやATMも増え、とても暮らしやすい街になった。

 私はNGO関係者としてカンボジアに短期滞在しているが、近い将来、カンボジアがタイ・マレーシア・フィリピン並みに、リタイヤした日本人が安心して年金で暮らせる国になることを期待している。

           2014年8月25日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年8月11日 (月)

安月給でも使命に燃え、がんばる小学校の先生たち

 カンボジアには全国に約6千の小学校があるといわれる。都市部では生徒数が2千人以上のマンモス校もあるが、地方では100人に満たない小さな小学校もあり、全国平均で300人ぐらいだろうか。
 都市部には私立校もあるが、その多くが公立である。したがって、教師は地方公務員の位置づけではあるが、月給は安く全国平均で120ドル(1万2千円程度)ぐらい。4~5年前までは80ドルと言っていたが、最近の物価上昇と労働者の権利意識の向上により、教師の待遇もやや改善された模様。

 本会が支援するキリソコム小学校(生徒数=227名)を訪ねた。2008年11月、帝燃産業株式会社さん(大阪府茨木市・中村博兆社長)がこの小学校に校舎を1棟寄贈し、以後本会が教育サポートする「クメール教育里親基金」の対象校として、支援を継続している。

 同校は、本会が活動エリアとしているコンポンスプー県にあり、カンボジアの首都プノンペンから車で約2時間とさほど田舎ではないが、これといった産業がなく、極めて貧しい村にある小学校だ。授業は午前中のみ(7時~11時)、校長含む6名の教師が赴任している。

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【キリソコム小学校で働く先生(前列左から2番目がサウ・プーン校長先生)】

 教師になるには、最低でも高卒以上の学歴が必要、教師を養成する専門機関(2年間・授業料は無料)で研修を受けたあと、各学校へ派遣される。原則として自宅から通勤可能な小学校での勤務が可能というが、中には遠方の小学校に派遣されることもあり、週末に自宅へ戻る単身赴任もあるらしい。

 待遇が改選されたとはいっても、月給は縫製工場の作業員と同じ程度、教師の数は慢性的に不足気味という。教師の給料だけでは生活が困難のため、田んぼ作りなどを兼業しながら教師をするケースが多いようだ。

 同校のサウ・プーン校長(40歳)に話を聞いたが、月給は他の教師よりやや高く150ドル、子どもが5人おり、自宅では田んぼを作って生活の足しにしているそうだ。子どもの頃から教師に憧れ、校長になったものの生活は苦しく、何度か転職を考えたそうだが、子どもたちの将来を考えると辞められなかったという。

 カンボジアの小・中学校は日本のように義務教育ではないため、貧しい家庭の子どもは中学校を中途退学するケースが後を絶たない。こうした現状を打開するため本会は「クメール教育里親基金」を設け、子どもたちが最低でも中学校を卒業できるよう活動している。

 その甲斐あって、中学校(高校)を卒業した子どもも多いが、全体から見るとごく一部の子どもたちだけ。一人でも多くの子どもたちが学校に行き、学びを継続できるよう、皆様のお力を貸していただきたいと願う。

           2014年8月20日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年8月 6日 (水)

現地のカンボジア事務所で働く3人のスタッフ紹介

 本会の創設は2000年1月だが、当時はカンボジアに事務所がなく、とても不便であった。その後活動の広がりにより、現地カンボジアに事務所を設置する必要に迫られ2002年1月、プノンペン市内に初めて事務所を設置した。
 以後、事務所は転々とし、現地スタッフも頻繁に変わったが、現在は3人のカンボジア人スタッフが、プノンペン国際空港の近くに借りた事務所(4フロアのアパート)で働いている。

 3人のスタッフの中で、リーダー的存在なのがピンさん。コンポンチュナン県出身、1985年生まれ、29歳の独身男性。日本語通訳スタッフとして働く。
 地元の高校を卒業後、プノンペンの「タヤマ実践カレッジ」で日本語を2年間学び、2011年に本会のスタッフとして採用した。
 2年前にプノンペン大学(夜間)日本語学科に入学、9月から3年生に。仕事と学業に追われる多忙な日々を過ごす。
 ピンさんは、子どもの頃からお寺の坊さんとして14年間も修行を積んできた。今は辞めたが、当時の経験を仕事に活かしている。

 もう一人の日本語通訳スタッフは、昨年採用したボレイさん、シェムリアップ県出身、1983年生まれ、31歳の独身女性だ。シェムリアップ県の実家には5歳、9歳の2人のお子さんがいて、実母が面倒をみているそうだ。
 地元の高校卒業後、「山本日本語教育センター」で1年間学び、シェムリアップで観光ガイドを5年間勤めた。日本語をもっと学びたいと、2年前プノンペンに単独移住、昼間は本会で勤務、夜はピンさん同様、プノンペン大学日本語学科で学んでいる。9月から2年生だ。

 本会のドライバー兼学校建設、井戸建設などを担当するのがリーさん、カンダール県出身、1982年生まれ、32歳の既婚男性。3人の中では勤務年数が最も長く、2007年より本会で働いている。
 2012年に結婚したが、奥さんとその家族がシェムリアップ県内でレストランを開業、目下単身赴任中。この秋には念願のベビーが誕生予定。
 リーさんは中学校の教師(2年間)の経験があり、学校との結びつきが強い本会活動にはなくてならぬ存在だ。ドライバーとしても道をよく知っており、人間カーナビと言われている。

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【左よりピンさん、リーさん、ボレイさん(本会の現地事務所にて)】

 3人とも真面目でよく働き、会としても大変満足している。過去採用した中で、最強メンバーではないかと、日本人の関係者が話す。
 スタッフ3人とも、本会事務所内の空いた部屋に住んでいるので、事務所の管理保全にも貢献している。
 ただ、将来はそれぞれの夢があり、いずれ本会のスタッフを辞めて、大きく羽ばたいていくことであろう。寂しいが、夢の実現に努力してほしいと願う。

           2014年8月15日 根岸恒次(法人理事長)

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2014年8月 4日 (月)

カンボジアンドリーム

 7月9日、カンボジアの首都プノンペン市内でマッサージ&スパのお店を経営するポック・ナビーさん(以下、ナビーさん)が2号店をオープン、その記念パーティーが2号店内で開催された。
 2号店は、プノンペン市内でも割りと賑やかな地区にオープン、10台収容可能の駐車場あり、向こう1ヶ月間は開店記念サービスとしてマッサージ料金が1時間2ドルと安く、連日大賑わいだった。
 6年前に開店した1号店は、今年の6月にオープンしたイオンモールにも近く、こちらの店も繁盛しているそうだ。
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【7月9日にオープンした2号店の前で】

 店のオーナー、ナビーさんは1980年生まれの34歳、目下独身であるが、一児のママでもある。
 プノンペン市内で生まれたナビーさんは教育環境に恵まれ、高校卒業後、日本への国費留学生に応募して合格、1998年~2000年、山口県の徳山工業高等専門学校で土木を学んだ。その後、宇都宮大学に入学したが、途中で勉強を断念して2002年、カンボジアに戻った。学資が続かなかったそうだ。

 ナビーさんが日本に滞在している時、当時大学生だったナビーさんは偶然にも本会の事務所(東京都練馬区)に来て、当時事務所で行なっていた学用品仕分けのボランティア活動に参加したことがある。当時、本会会員だった方がお連れした。

 カンボジアに戻った後、日本語通訳として旅行会社に勤務したが、2004年から本会のスタッフになり、カンボジア事務所長として約2年間働いてくれた。
 本会在籍時に旅行会社を設立、2008年には旅行会社の事務所と自宅を兼ねたマッサージ&スパのお店(1号店)をオープンした。

 実業家として目覚めたナビーさんは、プノンペン市内に焼き肉レストランを開店したが、こちらは啼かず飛ばずで早々に閉店した。
 それでも諦めないナビーさんは次の事業のためこつこつとお金を貯め、この程2号店を開店するに至った。

 ナビーさんは、2つのお店を経営しながら、本業である日本語通訳の仕事も継続している。通訳としての技術も高く、3年前には日本のテレビ番組で黒柳徹子さんの通訳をしたこともある。

 ナビーさんが経営する二つのお店には、約50人のスタッフが24時間ローテションで働いている。1号店は自社ビルだが2号店は借りているため、日本円で20万円ほど家賃を払っており、スタッフの給料など経費を含めると、毎月100万円以上の出費がかさむというが、それ以上の事業収入があり、何とか経営を維持しているそうだ。

 人は、生まれもっての才覚だけでは大成しない。そこに並外れた努力が加われば、大きく成長できるのだろう。運を見方に付けるのも実力の一つだ。

 カンボジアには男尊女卑の風潮がいまだ社会に残っており、女性の社会進出度は低い。しかし、ナビーさんのような努力家が頑張れば、その風潮もいつしか崩れていくことだろう。

           2014年8月10日 根岸恒次(法人理事長)

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