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2014年10月16日 (木)

ポルポト政権前のカンボジア近・現代史を学ぶ

 日本の現代史は、太平洋戦争を一つの区切りとしている。マスコミなどが戦後初の・・・といういい方をするように、カンボジアではポルポト政権(1975年~79年)が現代史の区切りとされる。ここで、ポルポト政権前の近・現代史について、おさらいしておきたい。

 19世の後半、ヨーロッパ列強によるアジアの植民地化が進む中、フランスはベトナム・カンボジア・ラオスを相次いで併合、「仏領インドシナ」として支配した。

 フランスの支配下、カンボジアではプノンペンの街並みが整備され、フランス様式の建物が建てられるなど、それなりに恩恵は受けたが、所詮植民地経営に利するためのものであった。フランスが残してくれたのは建築とフランスパンの作り方だけだったと、知り合いのカンボジア人が皮肉を込めてよく話してくれたものだ。

 フランスによる長い植民地経営が終わったのは1940年のこと。第二次世界大戦のヨーロッパ戦線でフランスがドイツに占領された弱みに付け込み、日本軍が仏領インドシナを無血で占領した。しかしその日本軍も1945年に降伏、終戦を迎えた。意外にも、カンボジアに進駐した日本軍はおとなしかったそうだ。

 日本軍の撤退でインドシナ三国は再びフランスの支配下に戻ったが、独立を求める第一次インドシナ戦争が始まった。その後カンボジアは、シハヌーク前国王の外交努力により、1953年に完全独立を果たした。

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【中国と親しかったシハヌーク前国王はアメリカの反感を招いた。(写真=毛沢東中国共産党主席と握手するシハヌーク前国王)】

 しばし平和な時代をすごしたカンボジアだったが、1060年代後半になるとベトナム戦争が激化、カンボジアもそのあおりを受け、再び戦場と化した。南ベトナムが劣勢になると、その孤立化を恐れたアメリカは1970年、ロン・ノル将軍にクーデターを起こさせ、中国と親しかったシハヌーク前国王を追放した。

 シハヌーク前国王派は、急進的な共産主義を唱える「クメール・ルージュ」(ポルポト派)と手を組んで「カンボジア民族統一戦線」を結成、カンボジアは再び内戦状態に突入した。

 1973年、アメリカがインドシナ半島から全面撤退すると事態が急変した。ベトナムでは1975年に南北統一が実現、カンボジアでもロン・ノル将軍が亡命してポルポト率いる「クメール・ルージュ」がプノンペンを制圧、シハヌーク前国王も幽閉されて、3年8ヶ月に及ぶ独裁政権による民族大虐殺が始まることになった。

          2014年10月20日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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