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2015年2月

2015年2月27日 (金)

カンボジアの子どもたちと心の交流を!

 今年は、本会が創立して15年の節目の年である。スタートは2000年1月。20世紀最後の年だったので、会の名称を21世紀・・・にした。

 早や15年というべきか、やっと15年というべきか、いずれにせよ15年間、数多くの人たちに支えられ、今に至ったことを感謝している。

 「継続は力なり」というように、何事も続けることが大事である。15年の間には、挫折して「もうやめよう」と思ったこともあるが、それは初期のこと、もうここまできたら、やめようにもやめられないほど、国内外において本会の存在意義が増している。特に、現地カンボジアの期待感は年々増すばかりである。

 とりわけ、貧しい家庭にある子どもたちが学校に行けるようにと、2003年に開始した「クメール教育里親基金」では、現在約350人の子どもたちを、日本の教育里親さんがサポートしている。中には卒業を待たずして、家計を助けるため退学してしまう子どもたちもいるが、これまで学ぶことができたことを、子どもたちは感謝している。

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【学校で学ぶ子どもたち】

 先日、ある教育里親会員の方からお手紙を頂いた。カンボジアで暮らす見ず知らずの里子との、心温まる交流を描いたものだったが、手紙の最後に「人生は出逢いのためにあります。このプロジェクトの目的は、カンボジアの農村の子らを学校に行かせることですが、学校に行かせることがすべてではなく、支援活動を通して、様々な出逢いがあり、感動を分かち合い、支えあい、お互いの人格を育てていくことが一番の目的のように思えます。」と結んであった。このような手紙を頂くと、つくづく「続けていて良かった」と思う。

 人生は出会いの連続である。最近はインターネットが普及し、本会も毎日のように、国内外の色々な方から連絡を頂く。ときには身の上相談のような会話もある。事務所を訪ねてくる人も増えた。支援を通して、新たな人の輪が次々と生まれる。とても休んでいられない日々である。

 人間、孤立してはいけない。いくつになっても、好奇心旺盛であってほしい。体が温かいうちは、心もホットであってほしい。あなたの溢れる愛を、途上国の子どもたちに向けてほしいと願うものである。

 最近、悲しい新聞記事を目にした。「出会い系」有料メールで一人暮らしの男性高齢者が詐欺にあい、1000万円をふいにしたという。「サクラ」にだまされたのだ。被害にあった高齢者が沢山いるそうだ。一人暮らしの寂しい高齢者を狙い撃ちした犯罪だが、だまされるほうも注意が足りない。1000万円あれば、年間3万円の教育基金では約300人の子どもたちを支援できる。もったいない話だ。

          2015年3月9日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年2月23日 (月)

カンボジアの平和を願い「平和小学校」と命名

 また一人、親しい方を見送った。今月に入り3人目、厳冬が災いしているのだろうか。1年ほど前に体調を崩し、療養していた角田勲先生が2月16日、永眠された。80歳だった。

 21日、先生の自宅に近い練馬区内の斎場で通夜が、22日には告別式がしめやかに行なわれた。私は理事の平古場さんと、お通夜に参列させて頂いた。
 無宗教葬で執り行われ、献花と想い出の写真がスクリーンに流れた。カンボジアで撮った写真も沢山紹介されていた。

 角田先生との出会いは、2001年頃だったと記憶している。何かのきっかけで本会の活動を知り、お住まいが本会事務局と同じ練馬区ということで、奥様の由美子さんと一緒に事務局を訪問してくださった。

 その後、里親会員として活動してくれ、多くの友人、知り合いを紹介していただいた。
 2003年、由美子さんの資金提供により、カンボジア・プレイベーン県、サンポウミヤス小学校に校舎(5教室・平屋建て)を寄贈、2006年には勲先生の資金提供でカンボジア・コンポンスプー県に校舎を寄贈した。カンボジアが平和であるようにと、平和小学校と命名した。

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【平和小学校開校式で(2006年12月) 写真提供=遠藤啓様

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【牛車にのって学校へ(奥様と) 写真提供=遠藤啓様

 角田先生は1935年、群馬県渋川市に生まれた。日本大学医学部を卒業後、同大学の内科に勤務、66年に同僚の由美子先生と結婚、77年、練馬区大泉学園町で内科医院を開業した。2人のお子様にも恵まれた。
 囲碁、ゴルフ、山歩き、アマチュア無線、海外旅行と趣味が多く、晩年には奥様とよく海外旅行を楽しんでいた。社会的に大成された方にもかかわらず、腰の低い人格者だった。

 死後の世界を経験した人は誰もいない。遅かれ早かれ、その日が必ずやってくる。その時に、安心してこの世に別れを告げることができる人は「最高の人生」だったに相違ない。その時になって後悔しないためにも、やれることは何でもやっておこうと思う昨今である。
 ご冥福をお祈りいたします。

          2015年3月2日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年2月18日 (水)

園田健次さんも逝去されました

 寒い冬が続くせいだろうか、このところ会員さんの訃報が続いている。2月3日、心不全で亡くなった山口信正さん(副理事長)に続き、奇しくも同日に、里親会員の園田健次さん(群馬県太田市)が肺炎で亡くなっていたことが分かった。すでに葬儀も済ませとのこと。61歳という若さだった。

 園田さんは、奥様の美代子さんと一緒に度々カンボジアを訪問、昨年11月の「カンボジアふれあいの旅」が最後の訪問になってしまった。旅の疲れもあったのか、帰国後すぐに入院、一旦は退院したもののお正月後に再入院となり、返らぬ人になってしまった。

 園田さんは、地元の企業に長年勤務、カンボジア支援活動により会社から表彰されたこともあった。病のため早期退職、以後自宅で静養しながら、カンボジアへの支援活動を続けてくれた。

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【ありし日の園田健次さん 写真提供=遠藤啓様】

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【夢ホームの子どもたちと 写真提供=遠藤啓様】

 ゴルフ好きでも知られる園田さん。カンボジアに行けば合間をみてゴルフに行っていた。昨年11月も、数名の会員さんとともにゴルフを楽しんでいた。
お酒も好きだった。プノンペン市内の「北朝鮮レストラン」では、焼酎を何杯もおかわりして、仲間と一緒にショーを楽しんでいた。陽気な園田さん、羽目をはずさないようブレーキをかける奥様の美代子さん、2人のかけあいは、へたな漫才より面白かった。

 61歳は早すぎる、と思ったが、人の寿命はまちまち。数ヶ月で他界する赤ん坊もいれば、103歳になってもなお現役で活躍している日野原先生のようなお方もいる。長生きすることも大切だが、その中身はもっと大事だ。

 NHK大河ドラマ「花燃ゆ」で話題沸騰の吉田松陰は30歳で刑死したが、その遺志は弟子達に継がれ、明治維新につながった。日本が植民地にならず、独立を保てたことも松蔭のおかげと言っても過言ではない。

 61年の生涯、もう少し生きたかったという声が天から聞こえてきそうだが、よきパートナー(奥様の美代子さん)にめぐりあえたことも幸せだった。園田さん、安心してお休みください。

 ご冥福をお祈りいたします。

          2015年2月23日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年2月12日 (木)

山口信正さん逝去

 本会の創設時よりずっと副理事長を務めてくれた山口信正さんが2月3日、心不全で逝去した。享年76歳だった。昨年から病気療養中だったが、奥様に看取られ、西東京市の自宅で息を引き取った。

 最後にお会いしたのは、昨年4月の定期総会だった。それまでは、病気ながらも隔月に行なう会報発送のお手伝いをし、元気な姿を見せていた。毎年10月、日比谷公園で催される「グローバルフェスタ」には必ず手伝ってくれ、次々にカンボジア製品を売り上げる営業トークは圧巻の一言だった。

 山口さんとは、個人的にも長い付き合いだった。私より10歳も年上だが、何故か気が合い、今日までの長い間、お付き合いさせていただいた。

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【写真展会場で(右) 写真提供=遠藤啓様】

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【グローバルフェスタで(中央) 写真提供=遠藤啓様】

 まだ私が本会を創設するずっと前、よく覚えていないが、30年ほど前からのお付き合いだったろうか。印刷会社の営業を担当していて、当時私は群馬県にある職場で働き、住まいも群馬県だったので、たまに仕事で東京に行けば、色々な所(特に夜の盛り場)を案内してくれた。

 そんなご縁で、私が2000年1月に本会を立ち上げた創設時のメンバーの一人として15年間、応援してくれた。カンボジアにも2~3回、引率を兼ねて行ってくれた。

 山口さんはとても器用な人で、どちらかと言えば「縁の下の力持ち」的存在だった。特に運転技術が素晴らしかった。道をよく知っていて、都内で開催する催し物や写真展の荷物運びから会場の設営まで、黙々とお手伝いしてくれた。

 元々営業マンだったので、冗談交じりのトークがとても楽しかった。冗談が通じず、生真面目な会員さんを怒らせてしまったこともあり、今思えば懐かしい想い出だ。

 山口さんは2人のお子さんがいたが、お孫さんはいなかった。「俺には孫がいないから、カンボジアの子どもたちが孫のようなものだ」と、口癖のように言っていた。

 人の寿命は長くて100歳、平均で80歳前後。還暦を超える頃になると、残りの人生のことを考えるようになる。「あと10年くらいかな?」「いや、あと20年はいけるかも?」と。多少の誤差があっても、いずれ人生が終る日がやってくる。そうなると、「残りの人生を悔いなく生きること」が日々のテーマとなる。いわゆる有終の美を飾ること。

 仕事をリタイヤした後、カンボジアの支援活動に専念してくれた山口さん、まさに有終の美を飾ることができた素晴らしいき人生だった。

 心からご冥福をお祈りいたします。

          2015年2月16日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年2月 4日 (水)

カンボジアの交通事情

 カンボジアの交通事故被害者は、近年増加傾向にある。
 昨年の交通事故による死亡者数は、対前年比13%増しの2148人に達した模様だ。
 死亡事故の80%がバイクの事故、80%以上が夜間に起きている。飲酒運転による事故も増えているが、取り締まりは殆ど行なわれていない。

 日本の交通事故死亡者数は4378人(13年度)、人口が日本の10分の1程度の国で交通事故の死亡者数が日本の半数だ。

 カンボジアの交通事故は、都市よりも地方で見かけることが多い。都市は交通渋滞が激しくてスピードを出せないが、地方の道路は未整備なのにスピードを出す車が多いからだ。運転マナーもよくない。

 昨年11月、地方へ行った時にも大きなバイク事故に出くわした。事故直後だったらしく、車に轢かれたらしい男性の遺体が、道路わきに横たわっていた。

 一方都市では、相変わらず交通渋滞に悩まされている。特に、朝晩のラッシュに巻き込まれたら大変。普通ならば30分でいけるところ、1~2時間は覚悟しないといけない。

 交通渋滞解消策の一つとして、プノンペン市内で公共バスの定期運行が始まった。市バス3路線、186ヶ所にバス停がある。利用者数は、1日平均6000人程度という。
 10分~15分間隔で運行され、料金は1500リエル(30円程度)。韓国製の中古バスだが、エアコンも効いていて中々快適とのこと。フンセン首相も、マイカーを自粛して公共バスに乗るよう、プノンペン市民によびかけた。

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【公共バスに乗って交通渋滞解消】

 交通渋滞のもう一つの原因は、立体交差点が殆どないこと。全国でも、プノンペン市内に2ヶ所あるのみだ。特に信号のない交差点では、四方から車が突っ込んでくるため、身動きできなくなってしまうのだ。真ん中で悪戦苦闘している警察官をよく見かける。車が急激に増えたため、インフラ整備が間に合わないのだ。

 かつて日本も、1年間の交通事故による死亡者数が1万人を超えていたが、運転マナーの向上、法規制、道路整備などの努力により、その数が半減した。日本のノウハウを伝授する必要があろう。

          2015年2月9日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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