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2015年4月

2015年4月27日 (月)

「学校に行かないことを許してくれてありがとう」

 前週のブログで紹介した「東久邇宮記念賞」を、11名の本会会員が受賞した。10年程度の会員としての活動実績があることを選考基準とし、該当する会員を推薦するため各人に打診したが、受賞した三重県在住の里親会員様から、感動的なお便りを頂戴した。
 4月18日、大阪市内で開催された受賞式&祝賀パーティーにも出席してくれた。席上本人の同意を得たので、ここにお便りを紹介したい。(一部省略)

 いつもお世話になっています。
 東久邇宮記念賞へ推薦下さるとのこと、ありがとうございます。
 思えば、入会させて頂いてそろそろ10年ですね。これまで里子から頂いた手紙の中に、一通、深く心に響いたものがあります。この機会に、少しだけその話をさせてください。

 17歳で中3の彼女は、近くに出来たばかりの高校に行きたいと言っていました。
けれど、近年の気候不順や国際経済の不調の影響で、悩んだ末にそれを断念しました。
 里親として、私はやはり残念に思いました。支援したからには、高校まで行って欲しいという思いがあったからです。しかし彼女にも事情があるのだからと、続けて妹の支援を申し出ました。
 その直後に、彼女から届いた手紙です。

 『 ……(略)……
 今年、家族の生活は良くなかったし、祖父母も年取ったし、母も病気がちだし、雨水量は足らないので、田んぼを作るのも大変です。それで、家族の生活を助けるために、新学年に高校へ進級しないで、工場で働くのを決めました。
 里親さんは私が進級しないことを理解しましたね! 理解した後、私を怒らないで、私の代わりに、続けて妹を里子になるので、嬉しいです。ありがとうございました。 』

 進学しないことを叱らないでくれてありがとう、と彼女は言いました。
 それを読んだ瞬間、胸が震えました。
 私たち先進国の大人にとっては、高校を出るのは当たり前です。もしも自分の子供が高校に行かないと言い出したらきっと、「高校くらい出やんでどうすんの!」と怒っていたでしょう。
 でも彼女には彼女の事情があり、泣く泣く諦めざるをえなかった。それを里親さんに叱られるかもしれないと不安に思っていた……。だから、「学校に行かないことを理解してくれてありがとう」と言ったのでしょう。
 こんなお礼を言われるとは、夢にも思っていませんでした。
 それまで数年間は、いつも「学校に行かせてくれてありがとう!」という手紙をもらっていました。
 最後の手紙は、「学校に行かないことを許しくれてありがとう」でした。
 私にとって一番の宝物は、この最後の手紙です。
 この子を支援して良かった、と心から思いました。思いやりのある、強い子です。
 人には様々な事情があります。はじめは私も、「たくさん勉強して、国際的にも活躍するような人材に育って欲しい!」と願っていたけれど、そんなこと、親の勝手な期待でしかない。
 彼女にとっては、遠くの誰かではなく、いつも側にいる家族を支え、逞しく自分の力で生きることの方がずっと大事だった。
 その生き方に、私は心からの敬意を感じました。「彼女は大層な学歴はなくとも、立派な大人に育った」と思いました。
 遠い異国の状況や、そこに住む人々の想いを理解することは難しいです。ついこちらの常識を押し付けそうになってしまう。
 でもそれぞれの生き方を認め、寄り添ってあげることがどれだけ大切なことか!

 かつて尊敬する先生が言いました。
 人生は、出逢いのためにあると。
 この会は、カンボジアの農村の子らを学校に行かせるプロジェクトですが、学校に行くことだけが全てではなく、会の支援活動を通して、様々な出逢いや感動を与えあい、支え合い、互いの人格をより大きく育てていくことが一番の目的のように感じます。

 私は自分の子供を持っていません。将来も持たないでしょう。その分、同じ地球に生まれながらも貧しさや不遇な環境のせいで教育を受けられない子供たちに支援が出来たら、一人の人間として、大人としての責務を少しは果たせるかと思い、貴会に入会させて頂きました。
 自身が職を失い、支援の継続を悩んだこともありますが、こうして10年目を迎えられました。
 一所懸命に生きる異国の若者の人生を支える小石の一つになれたことを、心から嬉しく思います。また、助けるのみでなく、豊かな日本という国にいるだけでは決して分からなかった、美しい生き様を見せて頂いたことに感謝します。

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【里子から届いた手紙と写真】

          2015年5月4日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年4月20日 (月)

東久邇宮記念賞の受賞式が大阪で開催される

 4月18日、大阪ガーデンパレス(大阪市淀川区)において「東久邇宮記念賞&祝賀会」が開催され、受賞者ら約200人が出席した。東久邇宮記念会(東京都新宿区百人町・吉村靖弘会長)が主催した。
 大阪では初めての開催。私は13年前から同会の幹事を務めているため、遠方であるが出席し、祝賀会で挨拶させて頂いた。

 同記念賞は、終戦直後、第30代内閣総理大臣を務めた東久邇宮稔彦王の長兄で、昭和天皇の女婿、東久邇宮盛厚殿下(故人)の遺言により生まれた。盛厚殿下は小発明に関心が深く、「ノーベル賞を取るよりも国民一人ひとりの小発明が大事だ」という理念のもと、同賞が発足した。

 当初は、小発明に貢献のあった方を中心に顕彰していたが、近年はその範囲を広げ、文化・芸能・スポーツ・ボランティア活動などの分野で貢献された方にも門戸を広げ、一般大衆に親しまれる宮様の賞として、過去多くの方が受賞の栄誉に輝いた。

 長年、同会の幹事を務める私から、特に国際協力の分野で活躍している本会会員も受賞できるように提案、2007年から2014年までの8年間で57名の会員さんが同賞を受賞した。

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【東久邇宮記念賞受賞祝賀会(4月18日・大阪ガーデンパレス)】

 今年は大阪での開催ということもあって、主に関西方面の会員さんら11人が受賞、18日に行われた式と祝賀会には、受賞者の家族など13名が出席した。
これからも、多くの皆様が受賞できるよう、努力していきたい。

          2015年4月27日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年4月13日 (月)

定期総会&創立15周年の集いを開催

 4月4日(土)、練馬区立「練馬文化センター・会議室」において、第13回定期総会及び創立15周年の集いを開催、約20人の会員さんが集った。
 これらの集会に先立ち、午前中に今年度第1回の理事会が行われ、10人の理事さんが出席してくれた。

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【第13回定期総会】

 軽い昼食の後、第13回となる定期総会を開催、今年度活動計画などの案件を審議、すべて承認された。
 定期総会に続いて「創立15周年の集い」が開かれた。最初に、現地の活動状況を収めたビデオを鑑賞、撮影者が素人だったためか手振れが激しく、数人の方が「船酔い状態」になるハプニングが起きた。
 上映後、自己紹介やフリートーキングで盛り上がり、午後4時半にはすべて終了、会場をあとにした。

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【創立15周年の集い】

 解散後、残った会員さんたち数人がお茶を飲むことになり、練馬駅周辺の喫茶店を探したがどこも満員、あきらめてそれぞれの帰路に着いた。遠くは愛知県・茨城県などからも来てくださり、感謝している。
 来年の定期総会は、会員さんからの要望があり、日曜日に開催することが決まった。(2016年4月3日を予定)

 今から15年前、数名の仲間と始めた本会の活動はおかげさまで大きく成長することができた。2003年にはNPO法人の認可を取得、今年は更にグレードアップし、認定NPO法人の取得に向け、作業を開始した。会員数も幽霊会員(退会の意思表示がないのに会費を頂いていない会員さん)を含めると全国に約500人。今年も様々な活動にチャレンジしていくことにしている。

 今年は戦後70年の節目にあたる。太平洋戦争で激戦地となったパラオ共和国を、天皇、皇后両陛下が訪ねた。戦後70年に合わせた慰霊の旅だ。日米双方に多くの戦死者が出た「ペリリュー島」にも渡り、碑に赴いた。

 戦争を放棄した戦後日本、今度は経済大国への道を歩み、世界が驚愕する経済発展を成し遂げた。戦争でご迷惑をおかけした東南アジア諸国に、政府の途上国援助(ODA)や、私達のような民間支援団体(NGO)による国際貢献がなされ、今もなお継続中だ。

 歴史の流れから見れば、私達の立ち位置はここにある。成熟国家として、いまだ貧しさの中にある人々に対し少しでも富を分かち合うことは、国益にもかなうことだ。

          2015年4月20日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年4月 9日 (木)

カンボジアからのトピックニュース(その2)

 3月30日付けブログに続き、カンボジアからのホットな情報をお届け。

≪自動販売機が初お目見え≫

 日本の都会では、100メートルも歩けば1~2台お目にかかる自動販売機だが、治安の悪いカンボジアでは、今まで街で見かけることはなかった。しかし先日、プノンペン市内でとうとう自動販売機を発見。治安がやや回復した証か。
 ちなみにカンボジアはコインがないため、紙幣のみの販売機。売っているのはジュースを中心としたソフトドリンク、酒類はなかった。

≪つばさ橋が紙幣になった≫

 ベトナムのホーチミン市からプノンペンを経由してタイのバンコクを結ぶ幹線道路は、カンボジア領内のメコン川を渡る橋がなかったため、物流に大きな支障が生じていた。
この程日本の無償支援でつり橋(つばさ橋)が完成、今月から通行が可能になった。開通式の様子がNHKテレビで放映され、ご覧になった方が多いと聞く。
 カンボジアと日本の友好を記念し、同橋がカンボジアの紙幣(500リエル)に登場した。10年前に完成した「きずな橋」に続き2度目。

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【紙幣になったつばさ橋】


≪ガソリンの値段が下落≫

  世界的な原油安により、カンボジアでもガソリンの値段が下がった。
  ガソリンスタンドの表示では1リットル3300リエル(100円程度)となっており、バイクや車が移動手段の庶民は大喜び。

≪シェムリアップ⇔シアヌークビル間の空路が復活≫

  世界遺産の町「シェムリアップ」と海岸がきれいなリゾート地「シアヌークビル」を結ぶ空路が昨年復活、今のところ1日1便のみだが、大きいジェット機を飛ばして観光客を運んでいる。
  同航路は、数年前に飛行機事故があってしばらく閉鎖していたが、復活の要望が強かった。特に欧米人に人気。

≪ミニ黒板が活躍≫

  カンボジアの小学校では、ノートの代わりにミニ黒板を使う。ノートが高くて買えないのも理由だが、何度も消して使えるので、生徒たちに人気。グッドアイデア。

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【ミニ黒板さえあれば】

          2015年4月13日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年4月 2日 (木)

洪水が押し寄せる村に高床の校舎が完成

 土橋傑さん(神戸市中央区)の協力により、カンボジアのトゥボンクモム県内で建設が進んでいた「プレチークむつこ小学校」(高床式・5教室)の新校舎がこのほど完成、3月6日に贈呈式を行った。

 式には、カンボジア政府から内務省のシアン・ブン・レン大臣ご夫妻が出席、地元からも関係者など約500人が出席した。日本からも「カンボジアふれあいの旅」に参加した12人が出席した。

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【シアン・ブン・レン大臣夫妻とともに】

 なお、大臣の奥様は、フン・セン首相の実の妹さんである。政府の要職にもあり、何か困ったことがあったらいつでも相談してほしいと、言われている。
 途上国での活動は、正攻法では通じないことが多い。特に行政関係は、トップダウンで解決するケースが多いため、強力な後ろ盾が必要だ。

 贈呈式では、大臣及び根岸があいさつした後、カンボジア政府より感謝状とメダイが、寄贈者に贈られた。テレビ局や新聞など地元のマスコミも沢山見えた。

 新校舎の建設資金は、土橋さんが勤務する会社の上司だった織田睦子さん(故人)の遺志によるもの。生前、カンボジアの子どもたちが大好きだった織田さんは、死期を目前にして資金の提供を申し出られたそうだ。新校舎には、記念して「プレチークむつこ小学校」と書かれたネームプレートが付けられた。

 同小学校はメコン川沿いにあるため、雨季には洪水が校内に押し寄せることしばしば。そのため校舎の損傷がひどく、以前から、洪水がきても平気な高床の校舎を要望していたが、その分建設費がかさむため、NGO団体などからの協力が得られない状況だった。

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【完成したプレチークむつこ小学校 校舎】

 日本人の善意と、カンボジアの要望をつなぐ役割を仰せ使い丸15年、校舎建設は23校目である。時々、メールなどで厳しいご指摘を頂く。「与えるだけでいいのか?」と。

 わが国も戦後貧しかった時、世界中から支援して頂いたが、おかげさまで現在は他国を支援できるまでに成長した。カンボジアもいつか自立してくれるだろう。その日が来ることを期待しつつ、側面より支援している。それだけでなく、その過程で双方に様々な思いがあり、ドラマがあり、そうした中でお互いが成長していくのである。

          2015年4月6日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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