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2015年5月

2015年5月27日 (水)

カンボジアの青年に話しを聞いた

 成長著しいカンボジアにあって、今後を担う青年たちの将来の夢は何か、日本についてどう考えるか、5月23日、4人の青年にプノンペン市内で食事をしながら話を聞いた。

 4人の青年は、王立プノンペン大学日本語学科の2年生で、年齢は20歳~22歳。授業は夕方からなので、昼間はアルバイトしたり、補習に当てている。

 全員が地方出身者で、プノンペン市内でアパートを借りたり、親や兄弟と一緒に暮らしている。

 大学で日本語を学ぶ理由について聞くと、全員が日本への留学を希望していた。まずは日本語を学び、日本の大学で専門の勉強をしたいという。

 その内訳は様々で、さらに日本語を学び帰国後は地方で日本語を教えたい、コンピューターを学び帰国後教師になりたい、農業を学び帰国後は地方に戻り、農業に関わる工場を作りたいという。

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【元気で明るいカンボジアの大学生たち】

 日本人について聞くと、すぐに出た言葉は「きびしい」と「時間を守る」だった。大学でも、日本人の先生から厳しく指導を受けているそうだ。

 日本の製品について聞くと、一様に高度な技術に感嘆していた。車はトヨタ、バイクはホンダ、これなしにカンボジアでは暮らせない。

 余暇活動について聞くと、サッカー、バレーボールなどのスポーツが多かった。カラオケには行かないそうだ。

 一番大切にしているものについて聞くと、家族と答えた。

 カンボジアは家族や親戚が強い絆で結ばれていて、育ててくれた親を大事にする文化が残る。保険や年金のない国なので、親の老後は子どもたちが仕送りして最後まで面倒を見るのが慣わしだ。

 かつて日本もそうだった。古き良き日本の昔が懐かしい。

 将来に夢と希望を持ち、明るく生きるカンボジアの青年たちに触れ、いっとき私の青春時代を思い起こさせてくれた。

 学校を終え社会人となり40数年、夢の実現に向けあちらこちらにぶつかりながら、何とかここまで辿り着いた。だが道半ばと思い、さらなる夢の実現のため、悔いのない余生を過ごしたい。

          2015年6月1日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年5月11日 (月)

アケミさん、ありがとう

 本会会員の今紀子さん(東京都渋谷区在住)から、会報掲載用に原稿が届いた。いずれ会報に載る予定だが、次号の発行が7月になってしまうため、まずはブログで紹介させていただくことにした。
 今さんは十数年前より、ほぼ毎年「カンボジアふれあいの旅」に参加、旅を盛り上げてくれる貴重な存在。会報にも度々投稿し、好評を得ている。
 今回のテーマはカンボジアではなくスリランカだが、同じ仏教国で親日家が多く、隔年開催の「4団体合同写真展」に参加しているスリランカ人僧侶のダンミッサラさん(東京都八王子市在住)とは、長い間交流を続けている。
 文中のアケミさんには、一度スリランカをご案内していただいたことがある。最近はご無沙汰していたが、昨年ご病気で亡くなった。心からご冥福をお祈りいたします。


「アケミさん、ありがとう」

 私がアケミさんと知り合ったのは、根岸理事長の新聞記事がきっかけだった。
 アケミさんは、スリランカでボランティア活動をしていた。2~3回ご一緒させていただいたことがある。その中で、特に印象に残っていることを書いてみたい。
 10年ほど前、スマトラ沖地震の発生でスリランカも津波の被害を受けた。アケミさんの支援する学生たちは、ほとんどが北のエリアに住んでいた。
 学生たちの身を案じたアケミさんは、会いに行くことにした。しかし、そこはスリランカ(シンハラ)人さえ寄りつかないという「タミールの虎」の本拠地なのだ。そして何故か応援団に、私が指名されたのだ。
 私たち2人(プラスタミール人運転手)は、「通行手形」をもらうため「タミールの虎」の事務所に乗りこんだ。バラックの粗末な建物だった。アケミさんは緊張していたが、私は髪にお花を差したりしてボーッとしていた。
 ふと気がつくと、二階から目の鋭い男たちが私たちを凝視していた。私たちは監視されていたのだ!私の髪飾りが功を奏したのか「通行手形」はすんなりもらえた。北のエリアは、タミール兵が銃を担いで巡回していた。
 私がカンボジアのボランティアツアーに参加した頃は、カンボジアは落ち着きを取り戻していた。根岸理事長は、まだポルポトの残党が暗躍していた危険と紙一重の頃から、ボランティア活動を続けてこられた。その土台があればこそ、私たちは安心してボランティア活動に参加できるのだ。そのことを決して忘れてはならない。
 残念ながらアケミさんは、昨年ご病気で亡くなられた。ボランティアの心意気を見せてくださったアケミさん、本当にありがとうございました。

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【津波で校舎を流され青空教室で勉強するスリランカの子どもたち】

          2015年5月25日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年5月 5日 (火)

マドレーヌが井戸に変身!

 4月30日付け朝日新聞北海道版に、「札幌手稲高等学校家庭クラブ」の活動が大きく報じられた。水汲みに追われて学校へ通えない子どもたちを少しでも減らそうと、カンボジアの小学校に手押しポンプ式井戸を贈るため、毎月1回校内でのマドレーヌ販売、7月には文化祭で手芸品を販売するなどして建設資金を集める様子が、写真入りで報道された。マドレーヌは、同クラブの生徒たちが学校の調理室で作っている。

 活動は2008年に始まった。顧問の東昌江教諭から本会へ電話があり、クラブの生徒たちがカンボジアの小学校へ井戸を贈るため資金を集めたので、仲介してほしいとのことだった。あれから8年、ほぼ毎年1基の井戸を贈り、これまでに7基を完成させた。

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【手稲高校の皆さんが寄贈した井戸の水を飲む生徒たち(3月18日、コンポンチュナン県・ターポン小学校)】

 本会では、2003年から井戸建設を始め、今年の3月までに269基の井戸を完成させた。井戸建設資金の提供者は様々だが、高校生のクラブ活動としてコツコツと資金を集めているのは、同クラブだけだ。

 記事の掲載に当たり、私も記者の方より何度か電話取材を受けたが、井戸が完成することで、子どもたちの水汲みにかかる時間が少なくなって、学ぶ機会が増えるのではないだろうかと話した。

 統計がないので明確ではないが、農村では、半分くらいの小学生が中途で退学し、就職や家の手伝いを余儀なくされる実態がある。しかし、マドレーヌが井戸に変身することによって、少しでも改善の方向に進むことを期待するものだ。

 このようなボランティア活動は、マドレーヌや手芸品を作る生徒にとっても、成長の糧になっていることだろう。ボランティア精神を身につけることが生徒たちの力となり、それが社会の力にもなっていくのだ。

 「継続は力なり」というが、8年前に活動していた生徒さんはすでに立派な社会人になり、活躍していることだろう。

          2015年5月18日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年5月 1日 (金)

プレゼントしたはずの自転車はどこへ?

 「クメール教育里親基金」は2003年に発足、以後12年間、カンボジアの貧しい家庭にある子どもたちを教育支援してきた。支援した子どもの数は延べ1,000人を超え、今も350人もの子どもたちを継続支援している。

 本会では、年に3回実施する「カンボジアふれあいの旅」に参加し、支援する里子に会うことを奨励している。
 今までに38回行われた「カンボジアへの旅」に参加し、里子に会った里親さんは延べ200人を超える。安くない渡航費を支払い、会いに行ってくださる里親さんに感謝しているが、そこには、お金で買うことのできない‘感動の出逢い’があった。

 「カンボジアふれあいの旅」に参加した及川英博さん(岩手県奥州市・里親会員)が、里子訪問記を寄せてくれた。

『里子訪問記』
 2度目にモン・モイ(里子の名前)を訪問したのは、里親になって1年後の夏である。お互いに2回目とあって、すぐにうち溶けて気安く話しかけることができた。
 訪問してびっくりしたことは、あのヤシの葉で作られた朽ち果てた状態の‘象徴的な家’が真新しくなっていたことである。
 屋根はトタン葺き、土間は立派なコンクリートに変身していた。事の真相を聞くと、土台が蟻に浸食されて倒壊してしまい、仕方なくローンで建て直したのだそうだ。新しくなったとは言っても、周囲の家と同格になったというだけで、ことさらびっくりするほどの家ではない。
 しかし考えてみれば、女手一人の働きで家を新築するということは大変な負担であろう。話しながら祖母の目の奥にうっすらと涙が光っているのが見える。
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【自宅前で里子のモン・モイと】

 モン・モイに勉強のことを尋ねると、手伝いで時々欠席はするが、学校がとても楽しいと答えてくれた。上の学校に進学する希望はあるのかと尋ねると、下を向いてはにかむばかりである。きっと家の経済事情を知る彼女は、祖母の気持ちを推し計っているように思えた。プレゼントしたはずの自転車もなかった。
 以前、知人の里子の家で、生活苦のために売却してしまったという話を聞いたことがある。モン・モイもあるいは同じ事情なのかと、自転車の行方を案じた。もし売却したとしても、懸命に生きる姿を見せられると責める気持ちにはなれない。
 帰り際、祖母はバケツに入った椰子砂糖をプレゼントしてくれた。買えば相当な値段がするものではないだろうか。お茶代わりに出してくれたココナッツジュースといい、日本人的なおもてなしの心情に触れた思いがした。
 農村でも米は頻繁には食べていないというので、現地で購入したお米50キロをお土産に持参したが、食べざかりの孫3人を育てる一家には何日もつだろうか。
 別れ際、ローンの返済で当分は苦労するだろう祖母の手助けにと、ポケットにあったお金をとっさに祖母の節くれだった手に握らせた。
 見えなくなるまで手を振るモン・モイ一家の姿を見ているうちに目頭が熱くなった。

          2015年5月11日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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