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2015年6月

2015年6月26日 (金)

東北地方で初の写真展を開催

 本会では、カンボジアの現状理解と協力者獲得を目的とし、写真展を年数回開催している。
その多くが東京都内だが、時おり地方に住む会員さんにお願いし、東京以外でも開催している。

 6月15日~24日、岩手県奥州市の「めんこい美術館」で写真展「カンボジアの子どもたち」を開催、延べ500人以上が来館した。21日の午後行われた「活動報告会」には約60人が出席、私から会の設立経緯、その動機などについて分かりやすく説明した。

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【全国から集まった会員さんと、お手伝いしてくれた奥州市の皆さん】

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【来館者に説明する及川英博さん(奥州市・理事・里親会員)】

 特に会を設立した動機について、カンボジアの皆さんは、終戦後食べ物が不足して苦労していた日本人にあたたかい手を差し出してくれ、食糧支援してくれたこと、世界で一番早くに戦後賠償請求を放棄してくれたこと、アジアで最初に友好条約を締結してくれたこと、国王が日本を訪問してくれたことなど、沢山の恩義があったことを取り上げ、出席者も納得していた。

 資料があまり残っていないが、太平洋戦争中、旧日本軍はカンボジアの各所に飛行場を建設、安い労賃でカンボジア人を酷使、犠牲者もかなり出たそうだ。にもかかわらず、食糧難で苦しむ日本人を支援してくれたことは、大きな借りとなった。

 報告会では、このほかに石川桂さん、鈴木千雄さん、上山陽子さん、遠藤啓さん、菊池和雄さん、村田環さんが現地での活動について具体例を挙げて報告した。

 今回行われた写真展は、及川英博さん(奥州市在住・里親会員)と奥様の弘子さん中心に準備が進められ、同市在住の里親会員である佐藤栄人・トス子さん、大星スズ子さん、村上花恵さんらがお手伝いしてくれた。

 時間が取れたので翌日は及川さんと佐藤さんが、平泉中尊寺などの世界遺産を案内してくれ、観光を楽しんだ。前沢牛で有名なレストラン「牛の里」で昼食をいただき、午後3時頃の新幹線で帰郷した。「牛の里」の女将、高橋恵子さんも、本会の里親会員である。

 今回開催した写真展は、本会の発足15周年を記念し、東北地方で初めて開いたもので、遠藤啓さんらが撮影した写真、約150点を展示した。来年6月には奈良県での開催を予定している。

          2015年7月6日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年6月24日 (水)

チア・シム上院議会議長が逝去

 また一人、大きな星が墜ちた。6月8日、カンボジア上院議長で与党・人民党の党首を務めるチア・シム氏が逝去した。82歳だった。
 チア・シム氏はフン・セン首相、ヘン・サムリン国会議長と並び与党・人民党を長年指導し、カンボジア国民に長く愛された人物だった。

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【チア・シム氏を乗せた霊柩車】

 近年は高齢に伴う体調の悪化で、公の場に出ることは少なくなっていたが、カンボジアの道路にはフン・セン首相、ヘン・サムリン国会議長と並び、人民党の立て看板に大きな顔写真が掲げられていた。
 6月19日には氏を弔う国葬がプノンペン市内で執り行われ、多くの市民が別れを惜しんだ。この日官庁は臨時休業となり、テレビやラジオでは派手な音楽は自粛、カラオケ店なども休業した。

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【左からシハモニ国王、シハヌーク前国王王妃、1人おいてヘン・サムリン国会議長、フン・セン首相】

 私は、近年カンボジアを率いた3傑のうち、1998年にフン・セン首相に面会、昨年11月にはヘン・サムリン国会議長にも会うことができたが、チア・シム氏だけは会うことが叶わず、とても残念だった。

 ただ縁があるとすれば、2003年、本会が最初に小学校の校舎を贈った小学校が「チア・シム小学校」だった。最初の校舎をチア・シム氏が寄贈してくれたため、「チア・シム小学校」と命名されたそうだ。校舎を寄贈してくれた武藤滋さん(静岡県沼津市・里親会員)はチア・シム氏より6歳上の88歳、今もご健在だ。

 長年カンボジアを率いたチア・シム氏の逝去に哀悼の意を表するとともに、その偉大な功績のもと、カンボジアがさらに平和で豊かな国になるよう、微力ながら努力したい。

          2015年6月29日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年6月16日 (火)

僻村の子どもたちも学べるよう、支えてあげたい

 3年ほど前になるが、現地カンボジアの事務所でドライバーをしていた男性が都合により退職し、実家に戻ったと聞いていた。
 その彼からの連絡で、住んでいる村には小学校がなく子どもたちが困っている、一度視察に来てほしいと言われていた。

 そこで5月20日、現地スタッフとともに訪問した。場所はカンポット県・チューク郡、デチョーアンカイン村。プノンペン国際空港近くの本会事務所から、西へ車で約2時間半の僻村だ。
 この地域は高地にあるため田畑がなく、村人の収入源は木材の切り出し、炭焼きなど。
とても貧しい村のようだ。

 この村を含む3つの村には校舎がなく、多くの子どもたちが未就学とのこと。
 村に着くと早速、子どもたちが授業をしている場所に案内された。民家の床下だった。そこで小学1~2年生(約40人)が授業を受けていた。予算がないため、教師経験のある村の女性が無給で教えていた。

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【民家の床下で授業】

 授業は午前中のみ。3~6年生に当たる子どもたちは校舎がないため、家の手伝いなどして一日を過ごしているそうだ。

 校舎を建てる際の敷地を案内してくれるというので車で向かうと、授業に行けない子どもたちが待っていてくれた。大半の子どもが裸足で粗末な着衣だったが、愛くるしい笑顔が印象的だった。

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【未就学の子どもたち】

 日本で、こうした光景にお目にかかることはまずないだろう。私は団塊世代で、子どもの頃は貧しかったが、靴ははいていた。古い長屋に住んでいて雨漏りしていたが、それなりに楽しく暮らしていた。ましてや今の子どもたちは少子化もあって、大事に育てられている。それはそれで結構なことだが、貧しい国の子どもたちに関心を持つことは必要だ。

 何とかして、ここに校舎を建ててあげたいと思っている。今のところ見通しはないが、理解してくれる方が必ず現れると確信している。

          2015年6月22日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年6月10日 (水)

夢ホームから就職内定第1号!

 本会がカンボジアのコンポンスプー県で運営する児童養護施設「夢ホーム」では、9月に高等学校を卒業する子どもが6人いるが、そのうちの一人、クリム・クリル君(18)の就職が内定した。5月21日、私と、クリル君の里親で、クリル君に板金加工技術を教えた鈴木千雄さん(愛知県あま市・里親会員)が面接に同行、その場で内定が決まった。

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【会社を訪問(右がクリル君、左は鈴木千雄さん)】

 就職が内定したのは板金や溶接などを手がける工場で、プノンペン市内にある。近年カンボジアの経済は成長著しく、多くの企業が人手不足になっていることも幸いした。

 クリル君は09年、夢ホームが開設した時に入園した。翌年、「夢ホーム」で開始した鈴木千雄さんの「板金加工技術講習会」に参加、通学の傍ら腕を磨いた。11年には、鈴木さんの招待で同僚のソム・クソーム君とともに来日、鈴木さんが経営する板金加工の工場で研修もした。

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【クリル君(左)に板金加工技術を教える鈴木千雄さん(右)=夢ホームで】

 鈴木さんは「大学へ進学するのもいいが、就職できるあてもない。ならば、若いうちから手に職をつけて自立してほしい」と話す。

 鈴木さんの板金工人生は丁稚奉公から始まった。今から60年前、まだ15歳の少年だった。歯を食いしばって勤め上げ22歳で独立、鈴木工業(株)を創立した。02年には「現代の名工」に認定、04年には黄綬褒章を受章した。

 長男に会社を託し、培った板金工の技術を途上国で活かしたいと03年、JICAのシニアボランティアとしてカンボジアへ赴いたが道半ばで帰国、04年、ピースボートで知り合った遠藤啓さん(静岡県伊豆の国市、会員)を通じて本会に入会した。入会後は、小学校の校舎建設、井戸建設、教育里親活動、夢ホームでの職業訓練活動と多忙に動き回り、今に至っている。

 鈴木さんは75歳、年齢的な衰えは隠せないが、第2・第3のクリル君を夢見て、鈴木さんのボランティア活動はまだまだ続く。

 近年寿命が伸びた日本では、高齢者の生き方が話題になっている。特に定年後は20年~30年と時間はたっぷりある。しかし、60歳になってから考えたのではもう遅い。布石は40代~50代に打っておかないと、人生のフイナーレを輝かせることは難しい。

 私も、40代の頃から先を見込んでカンボジアの支援活動を始めた。あれから20年、努力が実を結び、ここにきてようやく花が開いた。

          2015年6月15日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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2015年6月 2日 (火)

取り残された子どもたち

 2003年、今から12年ほど前になるが、武藤笑子(ムトウエミコ)さん(静岡県沼津市・故人)の資金協力により、カンボジア・コンポンスプー県の山奥に小学校の校舎を建設した。本会としては初の校舎建設、学校名は寄贈者のお名前を借り、エミ小学校と命名した。

 当時、エミ小学校の奥は人が住んでいない密林と聞いていたが、あれから開発が進んだのだろうか、エミ小学校から約10キロメートル奥に、二つの村があることが分かった。

 そしてその村には200人ほどの子どもたちがいるが、学校がないため未就学の状況にあるという情報を頂いた。

 そこで5月29日、エミ小学校校長先生に案内して頂き、二つの村を訪問した。

 すると村役場の集会所のような建物を借り、エミ小学校から派遣された男性教師が、小学校1・2年生(合計50人ほど)を対象に勉強を教えていた。3年生~6年生は、校舎がないのと教師がいないため、未就学の状態が続いているそうだ。3年生~6年生の数は80人になるという。

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【村役場の集会所で学ぶ子どもたち】

 実は今回のカンボジア訪問で、校舎がなくて子どもたちが学ぶことができない村を、もう一箇所訪問した。ほぼ同じケースで、村に住む元教師が無給で1~2年生のみ、民家の床下(高床)を借りて授業をしていた。3~6年生はやはり、未就学の状態で、家のお手伝いなどして暮らしていた。

 著しい経済成長を続けるカンボジア、首都プノンペンは目を見張るほど変貌しつつある。都会の裕福な家庭の子どもたちはインターナショナルスクールや語学学校に通い、明るい未来が保証されているかのようだ。

 しかし都会から車で2時間も走れば、未就学の村々が点在しているカンボジア。繁栄の陰で、とり残された子どもたちが多くいることを実感したこの度のカンボジア訪問だった。

          2015年6月8日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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