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2015年7月22日 (水)

戦後70年を経て思うこと

 太平洋戦争が終結して70年が経った。私は昭和23年生まれなので、物心ついた頃は、貧しいながらも社会は安定期に入っていた。小学校の給食で出された脱脂粉乳は、世界各国からの食糧支援物資であったことを後から聞き、敗戦で荒廃した日本にとり、さぞ嬉しい贈り物だったに違いない。

 あまり文献がない中、聞きかじった知識では、1942年に仏印進駐した旧日本軍は、終戦間際までカンボジアをフランスと共同管理した。カンボジアは戦場にならなかったが、旧日本軍は爆撃のための飛行場をいくつか建設したそうだ。

 その一つがコンポンチュナン県にあると聞き、小学校訪問のついでに寄ってみた。すると、驚いたことに飛行場はカンボジア空軍が管理し、時々使用していた。幾分修理した跡があったものの、滑走路もそのまま残っていた。

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【旧日本軍が建設した飛行場を見学(コンポンチュナン県ロリーアプイ郡/7月10日)】

 文献によれば、飛行場を建設するのにカンボジア人を安い労賃で働かせ、苦役を強いたそうだ。

 やがて終戦となり旧日本軍が撤退したため、カンボジアは再びフランスの保護領に逆戻りした。しかし世界の世論を味方につけ、カンボジアは1953年、完全独立を果たした。

 戦時中、少なからずとも迷惑をかけたカンボジアだが、世界に先がけて戦後賠償を放棄、平和条約を結び、シハヌーク国王が日本を訪問して天皇陛下にお会いした。

 比較的平和だったカンボジアに悲劇が襲ったのは、ベトナム戦争が激化した60年代も後半の頃。そのあおりで米軍がカンボジアに侵攻、ポルポト政権下では国中が刑務所と化し、100万人~200万人が命を落とした。ポルポト政権崩壊後は紛争各派による内戦状態に陥り、国は疲弊した。

 90年代になると、対立していた各派が和平協定を結び、平和な国造りが開始された。日本も海外初の自衛隊を派遣、側面から支援した。

 平和になれば我々の出番だ。戦後賠償の意味合いを持つODA(政府開発援助)と民間団体によるNGO(非政府活動)が車の両輪のごとく活動を始めた。本会も、カンボジア社会が安定した2000年代から活動を開始、今に至っている。

 近年カンボジアは経済成長し、国力もアップしたが、豊かな都市部と貧しい農村の格差が一層増している様相だ。そんな農村部に光が当たるように、支援していきたい。

          2015年7月20日(月) 根岸恒次 (法人理事長)

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