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2016年12月12日 (月)

なぜ冷たい社会になってしまった?

 12月10日、横浜のレストラン「サンアロハ」で、恒例の忘年会を開催した。慌ただしい年末にもかかわらず、今年も14人の会員さんが集まってくれた。

 ついでに、私の誕生日も祝ってくれた。翌日の11日、68歳になった。あと2年で古稀、昔70歳は稀にみる年齢ということで、古稀というそうだ。今70歳で死ぬと「早すぎる死」と言われてしまう。
 私が生まれた昭和23年の平均年齢は55歳だったそうだ。68年後の今、男女平均82歳になり、27年も伸びたことになる。

 68年を振り返ると、日本はまさに脅威の経済成長の連続だった。最近でこそGDPで中国に抜かれたものの、豊かで平和な日々が続いている。
 少子高齢化が進み、国家財政も危うい状況ではあるが、国民の金融資産が多く、まだ他国のお世話になってないのが幸い。社会保障も充実していて、それなりに暮らしやすい国になった。

 しかし、最近の世相を垣間見る限り、私たちが理想として追い求めてきた将来像にほど遠い現実がある。一言でいえば、冷たい社会になってしまったということ。財布は温かくなったが、心は冷え切ってしまった感がある。

 端的な例が子どものいじめ。新潟で起きた、福島県から移住してきた子に対するいじめが世相を反映している。先生もいじめに加担していた。全国各地で起きている、いじめを苦にした自殺もそうだ。
 ワタミや電通で起きた過労自殺も、とことんまで人を追い詰め、死に追いやる根っこは同じ。これらは氷山の一角に過ぎず、過労死寸前のサラリーマンは五万といる。

 今年も年6回、隔月にカンボジアに滞在した。体力的にきつくなってきたが、カンボジアにいると安心する。経済は貧しいのに心が豊かだから。

 私が子どもの頃、日本には物乞いが多かった。最近はホームレスがいるものの、物乞いは皆無に近い。それはそれで国が豊かになった証左ではあるが、物乞いに恵んであげる人がいなくなったことも事実だ。人が冷たくなったのだ。

 カンボジアに行くと、物乞いが溢れている。確かに貧しいから物乞いになるのだが、カンボジアの人たちが物乞いにお金をあげる光景をよく見かける。需要と供給の関係が成り立っているのだ。国民が助け合って生きている一面を見た。

 カンボジアの小学校で、いじめについて校長先生に聞いたことがある。多小のいじめはあるが、子どもを死に追いやるまでのいじめは聞いたことがないそうだ。カンボジアの子どもたちは貧しいが、心は豊かなのだ。あの屈託のない笑顔と純真な眼差しがその証拠だ。

 さて来年はどんな年になるだろうか?意気消沈していては前に進まない。私なりに訴えていきたいと思う年末である。

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【5月に亡くなった鈴木千雄さんが寄贈したカンボジアの小学校で学ぶ生徒。遺影を抱いて悲しんでくれた。 写真提供=遠藤啓様】

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【日本人が寄贈した井戸の水を飲むカンボジアの子どもたち 写真提供=遠藤啓様】

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【靴を買えない貧しい子どもたちだが、心は豊かである。(カンボジアの貧しい村で)】

          2016年12月19日(月) 根岸恒次(法人理事長)

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